昔土淵村田尻の厚楽という家で、主人が死んで後毎晩のように、女房の寝室の窓の外に死んだ夫が来て、お前を残しておいてはとても成仏が出来ぬから、おれと一緒にあべと言った。家族は怪しく思ってそっと家の裏にまわってみると、大きな狐が来てひたりと窓に身をすりつけていた。それを後から近よって不意に斧を以て叩き殺したら、それからはもう亡者は来なかったという。
「遠野物語拾遺190」「遠野物語101」では死体を操る狐が登場していたが、ここでは霊魂を操る狐の話であろうか。化けるのが得意な狐が、生者だけでなく死者にも化けたという事なのだが、もしかして霊魂をも操ったという事にでもなろうか。稲荷に祀られる荼吉尼天は死肉を食らう事でも知られている。古代中国では、戦う相手を滅ぼす場合、殺すだけでなく、その肉全てを食らってこそ魂をも滅ぼすと考えられていた。そして食べたモノは自分の血肉になり、力になると。遠野でもしばしば卵場と云われる馬の墓場を荒らして、馬の歯肉を食らう狐の姿が目撃されていた。この物語の根底には、狐が人間の死肉をも食らって、亡者に化けたという話にも繋がっているか。
また、死んだ夫が
「お前を残しては成仏出来ぬ。」という言葉は、妻を想う夫の気持ちでもある。明治時代となり西洋文明が日本へと入り込み、キリスト教の一夫一婦制が日本にもゆるやかに広がっていった。しかし、それは都市を中心とするもので、その頃の田舎である遠野は、未だ古い習俗が蔓延していたよう。
「遠野よばい物語」と呼ばれる話も遠野に伝わっており、大らかな性風俗が遠野に定着していた。ある話では、隣の家の旦那が早くに妻に先立たれて不憫だろうからと、自分の妻に対して、今晩でも行って慰めてこいなどという話が伝わる。逆に言えば、旦那に先立たれた妻という存在は、村の男達にとっては格好の的となる。妻を愛していればこそ、自分の死後の妻が心配になるのは当然の事だろうか。だからこそ、その正体が狐であっても、その夫の気持ちを代弁して「お前を残しては成仏出来ぬ。」という言葉は、その妻を愛していた証であり、それだけ良くできた妻であり器量も良かったと思われる。だからこそ心配で、夜な夜な亡者として現れたのは、狐がその夫の魂をも食らったからだとも考えられるのだ。つまり、狐と亡き夫の魂がリンクしたのかとも思える物語である。