ウィキペディアによれば、ヒヨドリの鳴き声は「ヒーヨ! ヒーヨ!」と甲高く、和名はこの鳴き声に由来するという説があるが
「卑しい鳥」と書いて
「鵯(ヒヨドリ)」とは、どういう意味であろうか?年がら年中居座って、作物を荒す為に害鳥指定になっているから、農家にとっては確かに卑しい鳥と思うのかもしれない。しかし、平安時代でのヒヨドリは貴族の間で飼われていた歴史があった。
「古今著聞集」563話「僧円慶ひえどりの毛をむしるに、家隆詠歌の事」では、ヒヨドリを飼っている円慶という僧は気性がせっかちだった。飼っているヒヨドリの毛の抜け変りがが遅い為に、イライラしてヒヨドリの毛を全部むしってしまい、その後にその行為を揶揄され歌に詠まれた。
「ひえ鳥をむしりつくみのはだか腹しり鈴にしてなりわたるなり」
690話「承安二年五月、東山仙洞にして公卿侍臣以下を左右に分ちて鵯合せの事」この話は、そのまま「鵯合せ」の遊びの様式に触れている。現代でも飼い犬に名前を付ける様に、ヒヨドリに対して各々飼い主が、無明丸、千与丸などという名がついたヒヨドリを持ち込むのだが、それだけでは無く、舞が舞われ、楽器が演奏され、唱歌までもが行われている豪華絢爛の遊びの様相である。
704話「宮内卿家隆、秘蔵の鵯荻葉を侍従隆祐に預くる事」これはおぎ葉という名のヒヨドリと、は山という名のヒヨドリを送ったり返したりを和歌で交流している様子が描かれている。和歌の神である住吉明神が登場している事からも、ヒヨドリに名付けた名が、その人物なりの粋を表しているのではなかったろうか。この時代は本名は語らぬもの。清少納言も紫式部も本名で無かったのは、名前が呪に使われる場合もあったからで、本名を名乗る場合は結婚する相手だけという時代だった。そういう意味では、役職名で呼び合うよりも、ヒヨドリに名付けた名前で呼ぶのも一興だったのかもしれない。
705話「後久我の太政大臣通光、秘蔵の鵯おもながを壬生家隆に贈る事」これは、可愛がっているおもながというヒヨドリを譲ってくれと云われて苦悩している様を描いている。
「いかにせむ山鳥のおも長き夜を老いの寝ざめに恋ひつつぞなく」この歌を添えてヒヨドリを送ったようだが、返してくれる事を期待してのものであったろう。
今ではやかましい害鳥というイメージのヒヨドリであるが、生態分布がほぼ日本に限られている為に、わざわざ海外の鳥愛好家達が日本に訪れてヒヨドリを撮影しにくるという。そういう面からすれば、日本固有の野鳥であり、大事にすべき鳥でもあるのかもしれない。ただ「卑しい鳥」という語源は定かでないが「稗」にも「卑」が使われているので「小さい」という意味を表しているのではないか?という事だが、物差し鳥と云われるのがムクドリであり、そのムクドリよりヒヨドリが大きいか?小さいか?となれば、ヒヨドリの方が大きい。そういう事から「小さい」を意味する「卑」は当てはまらないだろう。ただ平安時代にヒヨドリに命名された名を見ると女性的な名が多い。そこで気になるのは、歴史上で「卑」という名が付いた女性で思い出すのは
「卑弥呼」だ。この当時の平安時代は大陸からの書物が大量に流れ込み、それを夢中になって詠む人々が多かった。当然
「魏志倭人伝」も伝わっていた筈だろうから、もしかして
「卑弥呼」を意識しての
「ヒヨドリ(鵯)」であったのかもしれない。