昔々これもある所にトゝとガゝと、娘の嫁に行く支度を買ひに町へ出で行くとて戸を鎖し、誰が来ても明けるなよ、はァと答へたれば出でたり。昼の頃ヤマハゝ来りて娘を取りて食ひ、娘の皮を被り娘になりて居る。夕方二人の親帰りて、おりこひめこ居たかと門の口より呼べば、あ、ゐたます、早かつたなしと答へ、二親は買ひ来たりし色々の支度の物を見せて娘の悦ぶ顔を見たり。次の日夜の明けたる時、家の鶏羽ばたきして糠屋の隅ッ子見ろぢや、けゝうと啼く。はて常に変りたる鶏の啼きやうかなと二親は思ひたり。それより花嫁を送り出すとてヤマハハのおこりひめこを馬に載せ、今や引き出さんとするとき又鶏啼く。其声は、おりこひめを載せなえでヤマハゝのせた、けゝうと聞ゆ。之を繰り返して歌ひしかば、二親も始めて心付き、ヤマハゝを馬より引き下して殺したり。それより糠屋の隅を見に行きしに娘の骨あまた有りたり。
「遠野物語117」
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全国に広く分布する
「瓜子姫譚」は岩手県に於いては、この話のようにヤマハゝが娘を食べる場合と、ムジナが娘を食べる場合が伝わっているようだ。通常のアマノジャクもあるようだが主流では無く、ムジナに次いでヤマハゝという順番であろうか。
昔、
映画「羊たちの沈黙」を観た。人食いのレクター博士が脱出する際、殺した人の皮を剥いで、その者に成り済まし、担架に乗せられ運ばれ、易々と脱出したシーンがあった。それを見て思ったのは、この映画は
「肉食人種」によって創られた映画であり、とても雑穀食の日本人には真似できない映画だなぁというものだった。しかし日本を振り返れば、こういう瓜子姫を食べ、その皮を被って本人に成り済ます物語が伝わっていたのには驚きを覚えると共に疑念が持ち上がった。
日本での皮を剥ぐ話として一番古いのはやはり
「因幡の白兎」であろうか。似た様なものに
「日本霊異記」上巻第十六話に、大和の男が捕えた兎の皮を剥いで野に放ったところ、男は重い皮膚病で死んでしまった話がある。これは仏教思想の因果応報であると捉えてはいるが、似た様な話が西洋にあった。
ロジェ・ボゼット「皮ハギの神話」にはグリム童話
「白雪姫」が紹介されているが、継母である女王が、白雪姫の皮を生きたまま剥いで白雪姫に化けるのだった
。「お母様は、ハサミで私の足の先をひらきました。私が腕を上げると、皮がするっと剥けるのがわかりました。まるで手袋をぬぐみたいに。」恐ろしくもリアリティを感じるこのセリフに、やはり西洋人が肉食系人種である事を実感する。そしてその後、白雪姫の皮を被った継母である女王は、被った白雪姫の皮が腐った為に皮膚病で死んでしまう。「日本霊異記」では因果応報の話としているが、この「白雪姫」では他人の皮が合わなかった為という、どこか現代にも通じるリアリティを感じてしまう。
平林章仁「神々と肉食の古代史」を読むと、皮剥ぎの歴史は「因幡の白兎」より、素戔嗚が天照大神の居た神聖な機織りの斎服殿に天斑駒の皮を逆剥にして投げ入れて汚したのが古い記録であった。確かにこの逸話は、しばしば遠野のオシラサマと結び付けられ語られている。オシラサマの話も、娘と交わった白馬に対して怒った父親が皮を剥いで桑の木に吊るしてしまう。支那国では「桑」は「喪」であるとし
「桑の木」は
「喪の木」であるとされている。喪とは、身近な者や心を寄せる者、尊ぶべき者等の死を受け、それを悲しむ者が一定期間中を過ごす事になる、日常生活とは異なる儀礼的禁忌状態であり、人間社会においておよそ普遍的な現象であるとされる事から、娘の哀しみを汲み取り、殺した馬を吊るすのには適していたのだろう。オシラサマでは、剥がされた馬の皮が娘をくるんで天に昇ったとされるが、天照大神の齋服殿に投げ入れられた馬もまた、天照大神に対する生贄の馬であり、剥がれた皮に機織り女がくるまり養蚕に関する儀礼ではなかったかとされている。ただ、素戔嗚の剥いだ馬の皮も、オシラサマの白馬の皮も、生きながらに剥がれたようだ。
「遠野物語117」でヤマハゝが娘の皮を剥いだ時は、殺してなのか、それとも生きたまま皮を剥いだのであろうか?天照大神に捧げたであろう天斑駒は生きたまま皮を剥がされたというのは、馬は生きたまま皮を剥がされる事により、その苦痛から大きく嘶いたであろうとされている。先に紹介したグリム童話「白雪姫」でも、継母である女王は、白雪姫の皮を生きたまま剥いで、その皮を被って白雪姫に化けた。その皮の新鮮さを強調するならば、苦痛を上げる声そのものが新鮮さの証でもあり、その皮の新鮮さを表す。現代でも行われている鯛などの活き造りは、生きながらにして鯛などの身を切り刻み、尚も生きている状態を保つ事で、その新鮮さを強調する技法である。となれば、ヤマハゝが娘の皮を剥いで娘に化けたのも、娘が生きながらにして皮を剥いだものと思うのだ。
「瓜子姫譚」は近畿を中心とする関西方面では、瓜子姫は殺されず最後はハッピーエンドで終わっているのだが、瓜子姫が残酷に殺される話は東北であり、そして九州であるという。蝦夷は俘囚として九州などに連れて行かれたなどというが、元々東北と九州の習俗とDNAは近いと云われる。東北の歴史は、今となっては謎とされているのは、恐らく朝廷の書き綴られた歴史書には載らない歴史があったのだろうと云われる。秋田犬と北海道犬のDNAは北部ヨーロッパにしかない貴重なDNAであるという。犬だけが日本列島に来たわけでは無く、その犬たちを連れてきた民族がいるだろうとされている。恐らく、天照大神という大神は狼であり、狼を神と讃える民族が日本列島に渡って来て定着したのではないかと云われる。犬を友とする民族とは狩猟民族であり、当然の事ながら勝った動物の皮を剥いで利用する文化を有していたものだと思う。何故に、東北や九州での瓜子姫は皮を剥がされ残酷な殺し方をされたのかは、もしかして東北に渡って来た北部ヨーロッパからの民俗が伝えたのではなかろうか。そうであるならば、グリム童話「白雪姫」の話との繋がりが「瓜子姫譚」を通じて、北部ヨーロッパと東北・九州の文化が結び付くのではないかと考えてしまうのだ。