又世中見と云ふは、同じく小正月の晩に、色々の米にて餅をこしらへて鏡と為し、同種の米を膳の上に平らに敷き、鏡餅をその上に伏せ、鍋を被せて置きて翌朝之を見るなり。餅に附きたる米粒の多きもの其年は豊作なりとして、早中晩の種類を択び定むるなり。
「遠野物語105」「遠野物語103」「遠野物語104」「遠野物語105」を読んでいると、小正月と満月を組み合わせて語られているようだ。ただ「遠野物語105」には"満月"という言葉は出てこないが、鏡が登場する。正月の鏡餅は蛇のとぐろを巻いた形ではあるが、鏡そのものは満月を象ったものでもある。
鏡なす 見れども飽かず 望月の いやめずらしみ 思ほしし 君と時々
まそ鏡 照るべき月を 白たへの 雲が隠せる 天つ霧かも
吾が思ふ妹に まそ鏡 清き月夜に ただ一目 見するまでには三浦茂久「月信仰と再生思想」によれば、まそ鏡が月である事を意味するならば、太陽神である天照大神との整合性が取れない為に、まそ鏡は月であるという見解は避けられてきたようだ。しかし「万葉集」の歌から見ても、鏡は月と並べて詠われ、太陽とは結び付いていない。「まそ鏡」は「真澄の鏡」の意であり、ギラギラと輝く太陽に澄んだ光をイメージし辛いのは本来は月光にあてたものだからだろう。
太陽暦が導入されたのは持統天皇時代がやっとであり、それ以前は太陰暦であった。太陽暦が導入されても、世間一般では太陰暦が通常であり、一日の始まりは太陽が沈んでからというのは、その夜に輝く星や月が、一日の象徴でもあった。「遠野物語」の小正月に関わる話もまた、月との関連を示す話であるのも、太陰暦を意識してのものであろう。
また農事には、春は花見で始まり、月見で終わるのは、花見時期が田植え時期と重なり、山から降りてきた山の神が田の神へと変化し、秋の収穫時が十五夜と重なり、収穫された米から餅が作られ月見に供えられ、田の神を山へと送り、山の神へと戻す習俗によるもの。この月見の習慣を小正月に盛り込んでいるのは、小正月が1年の始まりで、農事の一年が月と共に進むのだという証でもある。満月を見ると妊娠するという俗信があるのは、満月は孕んだ月であり、それは作物の豊穣にも繋がるからだ。
こうして満月を見て見ると、確かに孕んだお腹の様に、月の中に胎児が丸まっているようにも見える。満月の優しい光は、あたかも鏡の発する光の様で、五穀豊穣を願う農民達を照らすかのようだ。