日本では六連星(むつらぼし)とも呼ばれる昂は、その名の通り六つの星が連なったいると思われていた。しかし、ギリシア神話ではプレアデスの七姉妹として昂は表現されて、実は六つの星では無く、七つの星の連なりだった。肉眼では七つの星を確認するのは難しく、こうして画像でアップしてやっと七つの星を確認できる。しかし、ギリシア時代に、何故昂が七つの星から成り立っていたのを知っていたのか、未だに謎の様である。驚異的な視力を古代人は誇っていたのだろうか?
肉眼で見えないといえば、死兆星もそうである。画像の柄杓の形をしている北斗七星の柄から2番目のミザールの上方に小さい青く光るのが死兆星であり、アルコルとも云われる補星となる。これも肉眼で見える人は、余程の視力の高さを持っているのだろう。
遠野地方には、力比べの話はいくつか伝わっているが、視力比べの話を見つける事が出来ない。星は、どちらかというと漁民の生活に溶け込んでいるが、遠野地方ではその星の代わりに、山や動物や植物などが見立てられている為に星に関心が向かなかったのであろうか。
アフリカなどでは狩猟の時、いかに遠くの獲物を発見できるかどうかで、その時の猟の成果に関わる為、遠くを見比べる競争があったようだ。ドゴン族の星の神話も実は後から文明人から教わったものだろうとされているが、星を見るという習慣があったのは、やはり遠くのものを見るという習慣に基づくものなのか。
修験の影響力が強かった遠野ではあったが、その修験の象徴である天狗は「天狗の隠れ蓑」の昔話で、彦一の持つ遠眼鏡が欲しくて、隠れ蓑を騙し取られてしまう。それはつまり、遠眼鏡という文化が天狗=修験界に遠眼鏡に対する羨望があったのだろうと思う。山岳地域では、せいぜい狼煙を発見できる視力があれば良い程度で良かったのか?生活に密着してた沿岸域とは違い、星に対する重要性が無かったのかもしれない。
遠野では「聴耳草紙」に「お月お星譚」が紹介されているのと、七夕と遠野三山の絡みの伝説に加えて、安倍貞任が魁偉と称されたか、その安倍氏が星の宮神社を祀っていたというのが、知る限りの遠野の星の話となる。もしも知らない星の話を見つけたら、紹介しようと思う。