ある集落に、小さな社があった。何を祀っているのかと、社に手を伸ばし、棟札を手に取り読んでみた。そこには、ある女性が蛇を殺した為に、その魂魄が体内に入り体を患い、40歳になるまで苦しんでいたという。しかし、ある僧と出会い、七日間に渡る祈祷によって、蛇の魂魄は封じ、その女性の体は全快したという事が記されていた。
棟札の表側には
「蛇體姫大明神」と記されており、その詳細は裏側に記されていた。棟札に書かれている経文から、これは日蓮宗の僧だと理解できる。裏の説明文には実名が記されており、簡単に第三者が、その内容を否定して良いものではない。ましてや、こうして社を作ってまで祀っている事であるから、記されている内容を信じて良いのだろう。とにかく「蛇體姫(へびのからだのひめ)」とある事から、その女性は蛇らしき穢れに覆われていたようだ。
日蓮宗系の経文には、画像の様に神仏の強そうな名前が列記されている。神仏習合の名残を引きずり、その名前を連名する事によって調伏するという事なのだろう。これは、熊野の起請文も似た様なもので、多くの神名を唱える事により、その起請文の神聖さと重要性を付与するものである。また「遠野物語拾遺」で紹介される平助ハッケの唱える呪文も、各山々の名を唱える事から、似た様なものであろう。
九字を切る九字法は陰陽道だけでなく、日蓮にも伝わっている様で、その九字一つ一つに神仏の名が連なっている。近世になって修験が廃止された後に、法華寺が加持祈祷の中心となったのも、そのせいがあるだろう。とにかくここでは、日蓮宗の僧の祈祷によって、蛇の祟りから逃れる事ができたようである。
豊島泰国「日本呪術全書」で、日蓮宗の呪術中から、蛇の祟りを調伏する方法が無いか探してみたが、蛇という限定は無かった。神道系の祈祷では
「大祓祝詞」などを唱えると憑いたモノは苦しみだし、蛇であるならば這いずるとされている。実は今から30年近く前、蛇を殺して憑かれたお爺さんが、這いずりまわっているところを祈祷によって治ったという話が遠野に伝わっている。今回の、蛇を殺してしまった為の厄災がどれほどのものであったのかは、想像できないい。ただ棟札には大正十一年四月三日と記されていた。
七日の祈祷と書かれていたが、日蓮宗での祈祷は、一日で決着がつかなければ、五日から七日、または一か月から二か月。あるいは百日、あるいは千日のうちに快癒させようと請願を立てるとある。つまり、僧は程度を調べてから、その日数を決めるのだろう。つまり、今回の蛇の祟りの調伏は、七日で決着させるという決意もあったのだと理解する。