昔、遠野のある家の娘に婿を貰った。するとそれを聞いた村の男どもが、
夜這いでお世話になった娘なので、もうお世話になれないと怒って騒いだ。
そしてその娘の婚礼の夜、男どもは皮肉にも葬儀の準備をし棺桶を担いで、
その娘の家に出かけて念仏を唱え始めた。その家の主人は、娘がこれ程の
男どもと結ばれていたのかと嘆き、娘の首を斬り落とし、その棺桶に入れ、
男どもに早く持って帰れと言った。驚いた男どもは帰り、婿は嫁となる筈
の家の娘を殺されたので刀を抜こうとしたが主人に止められ、この婿に他
の家から嫁を迎えて世継ぎとしたという。
この話は、まるでイスラム圏でたまに起きる名誉殺人のようである。一般的に名誉殺人とは、ウィキペディアによれば
「女性の婚前・婚外交渉(強姦の被害による処女の喪失も含む)を女性本人のみならず「家族全員の名誉を汚す」ものと見なし、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習のことである。」
まあ実際、この話は作り話ではあろうが、遠野にも多くの夜這いの話が残っている。果ては、河童の夜這い話まであり、遠野だけでは無いが、昔は今程に性に対するものの考えが、かなり緩かったのが事実のようだ。明治時代になり、西洋の一夫一婦制の思想が広がり、現代では夜這いや不倫などというものは否定された。それでも暗にそういうものは続いていたようだ。ある古老に聞くと、昭和50年代にも、そういう行為はあったと聞き、驚いたものであった。
遠野の歴代の女殿様となった清心尼公は、そういう不貞な行為は厳罰とし、それを犯した者は処刑とした。これは清心尼公が進歩的な考えを持つ人で、女性の地位を向上させる為には、女性そのものも身持ちを堅くししっかりしなければいけないという考えからのものであったようだ。そういう意味で、清心尼公の不倫した者を処刑したという政策もまた、遠野南部藩としての
「名誉殺人」であったのだろう。そして、この話も巷に横行する夜這いという習俗に相対する意識から語られた話であるという事であろうから、貴重な話であると思う。