深山で小屋掛けをして泊っていると、小屋のすぐ傍の森の中などで、
大木が切倒されるような物音の聞こえる場合がある。これをこの地方
の人達は、十人が十人まで聞いて知っている。初めは斧の音がかきん、
かきん、かきんと聞え、いい位の自分になると、わり、わり、わりと
木が倒れる音がして、その端風が人のいる処にふわりと感ぜられると
言う。これを天狗ナメシともいって、翌朝行って見ても、倒された木
などは一本も見当らない。またどどどん、どどどんと太鼓のような音
が聞こえて来ることもある。狸の太鼓だともいえば、別に天狗の太鼓
の音とも言っている。そんな音がすると、二、三日後には必ず山が荒
れるということである。
「遠野物語拾遺164」
昭和50年発行、
知切光蔵「天狗の研究」という本がある。作者が上州迦葉山に天狗の取材へ行き、そこで天狗倒しの話を紹介している。
「山中天狗倒しといって、突然暴風の吹き荒れるような凄じい音の起こる事がある。木伐り坊とも空木返しともいい、斧でヤグチを掘る音がコツンコツンと聞こえ、ボクンボクンと矢を締める音、続いてワラワラと大木の倒れる音がし、今頃誰が木を伐っているのかと、夜明けに探しに出ると、何処にもそんな形跡はない。」
「何れも天狗様の仕業とされているが、これは天狗様が山の清浄を尊ぶので、杣が不浄の身で歩く場合、山が汚されて天狗様が歩けなくなるので、杣を脅すため立てる怪音だという。」
これを読むと、遠野に伝わっているものと殆ど同じだが、山が荒れる原因は天狗様が怒っていると解釈できる。例えば、早池峰の神は不浄を嫌うので、火葬の煙が立つと災害が起こると同じ理由だ。雨乞いにおいても、滝などに動物の死体など不浄なものを投げ入れるのは、その不浄なものに対して山の神の怒るのを利用したものだ。
大工においても、妻が出産したのは赤不浄とされ、今でも遠野では大工さんは仕事を休む。これは大工が山の神の樹木を扱う仕事からきている。また昔から、鉄砲撃ちの間にも、山の神に対する多くの礼儀作法があり、それを守らなければならないのは、山の神の怒りや祟りを恐れてのものだった。
例えば
「トブサタテの儀礼」も似た様なものだろう。大木を切倒した後、その切り株に梢を挿し、新たに木霊が再生する為の儀礼だ。簡単に言えば山の神の縄張りの木を頂いたので、そのお返しするという意味だが、これも神霊に対する礼儀である。これをやらないと山の神が怒り、山が荒れ天候が荒れる。杣人の不浄に天狗様が怒るのと同じ図式となる。
つまり、山が荒れるのは天狗様が木などを倒し、大きな音を立てても、杣人など、山で働く者が何等かの礼儀に外れた行為をした事に起因するのだろう。現代の漫画などでも、山でのマナーを守らない者に対して祟りがあるように、今も昔も、山に対する礼儀を守りなさいという事か。