遠野町の相住某という人は、ある時笛吹峠で夜路に迷って、
夜半になるまで山中を迷い歩いたが、道に出る事は無かった。
いよいよ最後だと思い、小高い岩の上に登って総領から始め
て順次に我子の名を呼んで行った。そうして一番可愛がって
いた末子の上に及んだ時のことであったろうというが、家で
熟睡をしていたその子は、自分の軀の上へ父親が足の方から
上がって来て、胸のあたりを両手で強く押しつけて、自分の
名前を呼んだ様に思って、驚いて目が覚めた。
その晩はもう胸騒ぎがして眠られないので、父親の身の上を
案じて夜を明かした。
翌日父親は馬の鈴の音をたよりにようやく道に出る事が出来、
人に救われて無事に家に帰ってきた。そうして昨夜の出来事
を互いに語り合ったが、父子の話は完っく符節を合せる様で
あったから、シルマシとはこのことであろうと人々は話し合
ったという。
「遠野物語拾遺145」
実際に起こり得るかどうかはわからぬが、似たような話を心霊特集などで聞く事がある。古くは「源氏物語」に登場する生霊に似たようなと考えても良いのかもしれない。人が、その体を抜け出して行為をする場合、それは魂が抜けだしたものと信じられていたようだ。
魂という言葉の初めは、中国の戦国時代(BC403年~)の篆書に初めて登場したといわれる
。「徒然草(第四十七段)」に
「くさめくさめ」と唱える尼の話があるが「くさめ」とは、クシャミが出た時に唱える呪文で、クシャミをすると魂が抜け出て死ぬと信じられていたようだ。「くさめ」の語源は「休息万命(くそくまんみょう)」とも「糞食め(くそはめ)」とも云われるが、恐らく抜け出た魂を連れ去ろうとする悪鬼に対し「糞食らえ!」と言う呪文だろうという説が強い。
また欠伸をしても魂が抜け出るなど、どうやら大きな口を開けると魂が抜け出ると信じられていたようだ。となれば「遠野物語拾遺145」での場合、自分の命の最後だと思い、自分の思い人の名を大声で出した事により、魂が口から抜け出て、一番可愛がった末子の元へと向かったのだろうと思える。
夜の笛吹峠の下には、河内川が流れる。古くから呪詛を成すのは、神社や川辺であったようだ。
「平家物語」においての橋姫の願いに対し貴船明神は橋姫を哀れと思い
「誠に申す所不便なり。実に鬼になりたくば、姿を改めて宇治の河瀬に行きて三七日漬れ」と示現あり。女房悦びて都に帰り、人なき処にたて籠りて、長なる髪をば五つに分け五つの角にぞ造りける。」橋姫は川に浸かって想いを成就したようだが、それを願った相手は水神でもある貴船明神となる。
日本には三途の川の信仰があり、インドでも魂は川を流れると信じられている。川という水辺は魂の行き交う場所である為か、その自らの魂がリアルに再現するのかもしれない。笛吹峠の下を流れる川内川には緒桛の滝からの水が、流れ落ち注がれている。そこには不動明王が祀られ、元々信仰の地でもあった。しかし笛吹峠には多くの怪奇譚が溢れかえり、それが夜ともなると確かに相住某は生きた心地がしなかっただろう。だからこそ命が最後だと思い、魂を絞り出すように大声で我が子の名を叫んだのだろう。
人が死ぬと、その傍で大声を出してその者の名を叫ぶと言う。そうする事によって魂が再び肉体に戻り生返ると信じられていた。それを「魂呼ばい」という。この「遠野物語拾遺145」の最後に
「シルマシとはこのことであろう…。」とは書き記しているが、これは恐らくシルマシでは無く「魂呼ばい」の逆パターンであったのだと思う。
上田秋成「雨月物語」の
「菊花の約」は、友との約束を守る為に自らの命を絶ち、魂を飛ばせた行為であった。「遠野物語拾遺145」の話は「菊花の約」のそれと同じものであるのだろう。魂を可愛い我が子まで飛ばす条件は揃っていたのである。