昔この早栃で源平の戦のあった時、なかなか勝負がつかずそのうちに
食事の時になって、両軍とも飯を煮て食った。源氏の方では早く煮え
るように、鍋を低く下げて似たけれどもよく煮えなかった。平家方で
は鍋を高くかけて、下に多くの薪を燃やした為に、たちまちに飯がよ
く出来た。それで今でもこの土地には、平家の高鍋という諺があって、
物を煮るには高鍋がよいと言っている。
「遠野物語拾遺19」
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「遠野物語拾遺18」のところでも書いたけれど、この地で源平の合戦がある筈も無かった。しかし、ここでも書かれているのはやはり、逃げ延びた平家の者がいたのだろうか?内容は大した事はないのだが、要は
「平家の方が、文化的にも優れているのだ!」という事を伝えたい伝承となっている。
遠野の土淵町に
似田貝という地があって、その地名の語源は
「煮た粥」からきているというが真意は定かではない。ただしこの「煮た粥」は、安倍一族と戦った源義家の軍が、戦の合間に「粥を煮て食った」という事から来ている。
以前観た
映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」で、戦でありながら、戦の開始時間や終了時間があり、また昼飯時間も決められていて、なんとのんびりしているのだろうと思った。実際に史実考証をきちんとして作った映画が「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」であるという。相手国と戦うのでありながら、なんかサラリーマンのようだなぁ…と思った。
こうして考えてみると、例えば桓武天皇が蝦夷討伐をライフワークに掲げたのに、坂上田村麻呂が征夷大将軍として遠征するまで、殆ど成果が無かった。しかし、その遠征中の兵糧は大量に減る一方で、桓武帝が怒っている記述が正史に残っている。
よくよく考えてみると、戦というのは一生懸命にすれば馬鹿をみるというか、自分の命を削ってしまう。命令を下す天皇は、その成果を期待して軍隊を送り出すのだが、戦っている当人たちにとっては、あまり無理したくないというのが本音。坂上田村麻呂以前の征夷大将軍もまた人の子であるから、死にたくは無い。しかし「腹減った、飯食いたい!」となる。そしてサラリーマン根性で接すれば、ほどほどに戦を仕掛けて、ほどほどに撤収すれば、命に関わる事無く、飯を食えると考えるのは普通だと思う。偉そうに命令する天皇なぞ、現地に赴くわけがある筈も無い。報告書を適当に書けば問題ないだろうと、たかをくくっていたに違いない。それ故に、蝦夷にとって不運だったのは、
坂上田村麻呂という、上司の命令を忠実にこなす
真面目な企業戦士?が登場した為だったのか?(^^;
とにかく戦でありながら、飯の伝承が残るというのは、昔の戦というものは、かなりのんびりしたものでは無かったのか?と想像してしまうのだった…。