小国村又角の奥太郎という男が、遠野町へ行った帰りに、立丸峠まで来るとちょうど日が暮れた。道は木立の中であるから一層暗くて、歩けない程になったその時、向うから何者かやって来てどんと体に突き当った。最初は不意を食って倒れたが、起き上がって二、三歩行くと、またどっと来て突き当たったから、今度はそいつをしっかりと抱き締めたまま、小一里離れた新田という村屋まで行って、知り合いの家を起して、燈火のあかりで見ると、大きな狼であったから打ち殺したという。明治二十年頃の出来事である。
「遠野物語拾遺214」立丸峠とは、遠野市と川井村との境界の峠である。遠野から国道340号線を進むと、川井村経由で沿岸の宮古まで行く、沿岸域への一つの要所でもあった。この「遠野物語拾遺214」の記述の中に日が暮れたとあるが、実は川井村とは本州で一番遅く日が昇り、本州で一番日が暮れるのが早い地域でもあった。その為なのか、岩手県内での出生率はトップクラスである。
ところで全国の狼は、明治の半ばに絶滅したとされる。ただ遠野では昭和の初期であるが、狼の遠吠えを聞いたという証言もある事から、実際はどうであったのだろう。この「遠野物語拾遺214」の時代は明治二十年頃とされているから、明治は四十五年までいったのを考え合わせると、丁度狼が絶滅した頃にあたる。狼は集団で狩をする生物であるから、ここでの奥太郎とぶつかった話は、狼の群れに遭遇したと捉える事ができるのだろうか?しかし狼も生き物であるか、目の前にある障害物は避けて進む筈である。ぶつかったとすれば、感覚が鈍った狼?となればやはり、絶滅の原因となった狂犬病の影響によるものであろうか?狂犬病には感覚の麻痺や、精神錯乱などの神経症状が現れるとされるから「遠野物語拾遺214」に於いて、奥太郎にぶつかったのは感覚の麻痺、もしくは精神錯乱からだとも察せられる。
ぶつかった狼に掴ったまま移動するくだりがあるが、人間を乗せて走れるほど、日本狼は大きくはない。画像は東大農学部収蔵の日本狼の剥製だが、生きている頃とは少し縮んでいるよう。
平岩米吉「狼ーその生態と歴史ー」によれば、元禄年間の狼の大きさについて捕獲された雄狼は「長さ三尺一寸(93.93cm)」牝狼「長さ二尺八寸(84.8cm)」とある。他にも捕獲された狼のサイズが記されているが、どれも似たり寄ったりである。とにかく雌雄どちらも体長が1メートルに満たない大きさである為、これでは狼よりも身の丈の高い人間を乗せて長距離を走るとは考え辛いもの。この箇所に関しては嘘だとは思うのだが「遠野物語」全般に広がる獣と人間とのやり取りには、人間がすぐさま獣を殺してしまうという記述が余りにも多い。狐であれ狼であれ、正体がわかった瞬間に殺してしまうのだ。この感覚は、現代には無い感覚と感じる。またそれを逆に捉えれば、この「遠野物語」時代の人間の生活が、かなり精神的余裕の無い生活をしていたのではないかと感じ取る事ができるのだ…。