正月十五日の晩にはナモミタクリ、またはヒタカタクリともいって、 瓢箪の中に小刀を入れてからからと振り鳴らしながら、家々を廻ってあるく者がある。タクリというのは剥ぐという意味の方言で、年中懶けて火にばかり当たっている者の両脛などに出来ている紫色のヒカタ(火斑)を、この小刀を以て剥いでやろうと言って来るのである。 これが門の口で、ひかたたくり、ひかたたくりと呼ばれると、そらナモミタクリが来たと言って、娘たちに餅を出して詫びごとをさせる。家で大事にされている娘などには、時々はこのヒカタタクリにたくられそうな者があるからである。
「遠野物語拾遺271」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この話は、あまりにも有名な秋田のナマハゲと同じ習俗の話であるが、違うのは鬼として語られていないという事。遠野地方から沿岸域である大船渡に行くと、やはりナマハゲと同じ鬼の格好をしたセネカというのが登場する。鬼の姿は”威力”でもあり確かに子供達には効果的であろうが、何故か遠野ではその威力たる鬼の姿にはならないのである。
よくわからないのは…ひかたたくりが、火にばかりあたっているので紫色の火斑を言い、有名な秋田のナマハゲは、その語源がナモミ(アマメ・ナゴメとも)といい、やはり長時間火にあたり続けることによって生じる皮膚の変質(火型)を指す方言で、それを剥ぐからナモミハギとなって更に転訛しナマハゲとなったそう。
そして別に、能登地方の民俗に節分の夜、小学生が中心となり豆まきと一緒に行われるアマメハギというのがある。これは薄暗くなった頃、鬼の面を着け、箕、前垂れをあて、手桶に包丁を持ち「アマメー」とか「怠け者はおらんか」などと小さな子どもを脅し、餅を貰うと退散するというもの。「アマメ」とは、囲炉裏に当たってばかりいると出来る痣状のマメの事で、「怠け者」の印のアマメをはぎ取る事で怠惰を戒め、厄を祓って歩く民俗行事だというが…実際に、そういうものが出来るのであろうか?
自分の小さい頃の炬燵は炭炬燵で、寒いから炭炬燵に入ると暖かく、そのまま寝てしまう場合があり、そうすると足が炭火にあたって軽い火傷をする事がたまにあったのを記憶している。ただ「子供は風の子」と自分の頃にはよく云われたとおりに、子供ってのは雪が降っても外で遊ぶのを楽しみにしていた。
「遠野物語拾遺271」で云われるのは娘であって、自分のような男では無い。では昔の冬の寒い中、女の子達はそんなに外にも出ないでずっと家の中で囲炉裏にばかりあたっていたのか?と考えても、いまいちイメージが湧かない。
ここで妄想するのだが、この民俗は本来、子供達に対するものでは無く、遠野のように娘達に対するもの、もしくは嫁いだ嫁に対する民俗であったのでは?と感じてしまうが…。
ただ昔は、7歳までは神の子であったので、何もしなくても養って貰えたが、7歳を過ぎた子供は、いろいろと家の仕事を手伝わされた。今で言えば、小学一年生から普通に、大人並みの仕事を課せられたよう。
「百年前の日本」という写真集を見ると、確かに幼い女の子がもう赤ちゃんをおんぶしている写真が数点あった。子守は親の仕事では無く、子供の仕事であったのだろう。つまり7歳を過ぎると遊んでいる暇もなかなか与えられず仕事をさせられたのが、昔の子供なのだろう。となればやはり、ナマハゲは子供達に対する民俗だろうか?