この地方ではよく子供に向かって、おまえはふくべに入って背戸の川に流れて来た者だとか、瓢箪に入って浮いていたのを拾って来て育てたのだとか、またはお前は瓢箪から生れた者だなどと言うことがある。
「遠野物語拾遺269」
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盆の十三日の夕方、新仏のある家では墓場へ瓢箪を持って行っておく。 それは新仏はその年の盆には家に還ることを許されず、墓場で留守番をしていなければならぬので、こうして瓢箪を代りに置いて来て迎えて来るというわけである。土地によっては夕顔を持って行く処もあるという。
「遠野物語拾遺270」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー遠野においては、馬の墓場を卵場という。これは遠野の各地域ごとに馬の卵場があって、死んだ馬を埋葬する地でもあった。以前は狼やら狐やらが、この卵場に埋葬された馬を掘り起こして食べたとも云われている。 綾織の故阿部さんは、夜にたまたま卵場の傍を通りかかった時、ユラユラと揺れる青白い火を見て人魂かと思ったそうであるが、実は狐が馬の骨の付いた肉を咥えて近付いて来たのを見た時、その骨付きの馬の肉が青白い炎を纏っていたそうである。
ところで墓場を、何故卵場として呼ばれたのだろう?卵といえば、死よりも生。生誕を意味しているものに対し、墓場が死に結びつくのではあるが、これは死からの復活を意味しているのだと考える。もしくは魂の復活…輪廻か。
復活で思い出すのが、キリスト教圏に広かる
「イースターの卵」だ。諸説様々だが、卵が象徴するものは、墓であり、そこから抜け出すことによって復活する命であるという事は、馬の卵場と共通するものの考えなのだと思う。 古代、人は卵から生まれたという概念があったようだ。
「日本霊異記」にも卵を産んだ女の話があり、また
「竹取物語」の原型として伝わる話に、こういう箇所がある…。
「昔竹取の翁という者あり。女をかぐや姫という。翁が家の竹林に鶯の卵女の形にかえりて巣の中にあり。翁養いて子とせり…。」 その卵とまた同じものとして
「ひさご」があった。ひさひごとは、つまり瓢箪だ。”ふくべ”とも言う。その瓢箪と卵には、イースターの卵と共通する概念がある。 朝鮮には卵から人間が生まれた話が多く、また瓢箪は魂を入れる器として伝わっているのだという。日本の前方後円墳の正しい見方とは、横から見ることであるという。するとその形は、瓢箪を半分に切った形となる。つまり、死者を瓢箪(卵)に入れるという考えは、西洋のイースターの卵同様、復活を意識してのものであった。
ところで新羅本紀の中の脱解王の物語は龍城国出身の王女が卵を産んで、その子を舟に乗せて流したのを、新羅国で老婆が拾って育て、その子が脱解王になったという。 また
「日本書紀」での豊玉姫は、姫が龍の姿になって卵を産んだと記されている。つまり豊玉姫とは新羅から来た姫である可能性、もしくはその概念によって作られた逸話である可能性は強い。これはそのまま、朝鮮から海を渡って、卵と瓢箪の概念が日本に伝わってきたものと考えてもいいのだと思う。その概念が、馬の卵場として伝わっていたのかもしれない。そして「遠野物語拾遺269&270」に語られるように、その概念が日本に広がり「瓢箪から生まれた。」という話が作られたのだと思う。
「西遊記」においては金閣・銀閣が瓢箪で人を吸いこんでしまうシーンがあるが、恐らく肉体だけでは無く、魂も吸い込むのでは?
「遠野物語拾遺270」においては、新仏は家に帰る事が出来ないので、墓場で留守番をするとなっている。ここでは瓢箪がどういう役割を示すのか記されていないが、新仏の霊体、もしくは魂を納める器としての瓢箪ではと想像できる。つまり霊体や魂という不安定なモノを受け入れる器としての瓢箪であろう。置いてくるのは、魂が入るようにという事であり、迎えに行くというのは魂が入り込んだものと仮定してのものだろう。