遠野と大迫の早池峰神社には、争いの歴史が刻まれている。それもこれも南部氏が盛岡に来てからだ。確かに盛岡から早池峰神社を参詣するにあたり、遠野の早池峰神社よりも大迫の方が行き易いのは確かだ。その為に南部氏は大迫の方へ多く寄進もして保護してきた。創建は遠野側が古いのであるが、時代の流れには勝てなかったのが実情だろう。しかし今でも早池峰神社といえば大抵、大迫と答える人が多いのは何故か。
大迫の町へ行くとわかるが早池峰山を中心に、大迫町が一生懸命なのがわかる。しかし遠野は柳田國男の「遠野物語」を中心に観光事業を組んでいる為、古い由緒を持つ遠野早池峰神社に対する力の入れようは、大迫に比べて劣るのは否めない。7月17日には宵宮が行われ、神楽が舞われたが、早池峰神楽の代表といえば、岳の神楽。つまり大迫の早池峰神社に伝わる神楽は、全国が認知するところでもある。
一番言えるのは、早池峰山を含めて早池峰神社が地域の人々から愛されている存在であるという事だろう。遠野の早池峰神社は、遠野の北に鎮座する神社で、路線バスに乗って行くと1時間近くかかる遠い地だ。その為に遠野の人でも早池峰神社に行く事なく、一生を終える人もいると聞く。しかし、大迫の早池峰神社もまた大迫の町から山の方へと車やバスでかなり時間をかけて行かなければ、着かない地に鎮座している。つまり、遠野も大迫も条件は同じである。違いはやはり先に述べたように、早池峰に対する愛情であると思う。大迫全体が早池峰の姫神そのものが「おらが町の氏神である。」と認識している違いだろう。
ただその大迫の早池峰神社の背後には、早池峰山は聳えていない。遠野の早池峰神社の背後には、早池峰山が聳え、早池峰を祀る神社が遠野早池峰神社というのが理解できる。では大迫の早池峰神社の背後には何があるかというと、それは遠野早池峰神社であった。自分の考えは、恐らく大迫の早池峰神社は方違えの呪法として建立されたものだろう。あくまでも早池峰は北に鎮座している存在であるから、大迫の早池峰神社に参拝する場合、その祈りは一旦遠野早池峰神社向かい、北に聳える早池峰山に向けられる為の呪法で建立されたのだと思う。つまり正統な早池峰の神社とは遠野早池峰神社である筈であるから、遠野の人々はもっと自信を持って早池峰神社を宣伝すべきだと思う。
大迫早池峰神社の社殿内部の祭祀は、いたってシンプル。余分なものが無い。ところが遠野早池峰神社には、過去に奉納された額や絵馬など、様々な品が社殿内部に飾られている。それは一つの早池峰神社の歴史を語っているようなもの。しかしその違いは、大迫は別に宝物殿を建て宝を展示している違いだけ。しかしその違いは、遠野早池峰神社が歴史と共に埋没している神社であるが、大迫の早池峰神社は祭祀と観光を区分けし、収益を上げ、地域で早池峰神社を守るという意識の違いからのものであろう。綺麗ごとでは無く、予算が無ければ神社の歴史を保護できないのも事実だ。その事実を認識しているからこそ、大迫の早池峰神社は頑張っているのだろう。
早池峰神社の祭神は、遠野も大迫も共に瀬織津比咩である。しかし大迫の早池峰神社を訪れた時、神社関係者から瀬織津比咩の名前を聞く事はできなかった。ただ「この早池峰の姫神様は、名前を出す事を禁じられた神様でした…。」と。今でもその名残があるのか、関係者の方はただ"姫神様"とだけ答えるのみだった。しかし姫神様は尊称でもある為、敢えて本名である瀬織津比咩の名前を呼ばないのは、尊敬の念から来ているのかもしれない。何故なら日本のの現実社会でも、目の上の人に対して呼び捨てはできない。そういう意味で"姫神様"と答えるのが正しい呼称なのだろうと思う。
とにかく大迫の人々の意識には早池峰が大きく入り込み、細かな場所、お土産に至るまで早池峰と、その姫神様に対する意識が伺える。遠野側に足りないのは、早池峰山の歴史的存在意識と、姫神様に対する尊敬の念では無いだろうか?「遠野物語」及び「遠野物語拾遺」を読んで気付くのは、早池峰と早池峰の姫神に関する話の多さである。つまり遠野の人々は、「遠野物語」を紹介した柳田國男よりも「遠野物語」の中心である早池峰と、その姫神に対する尊敬の念をもって保護していかなければ、ならないだろう。そうでなれればいつまで経っても表面的な観光地としての位置付けにしかならない。全国の名立たる神社や祭りに人々が集まるのは、本物だからだ。大迫町の観光意識にも、それが見受けられる。