愛宕様は火防の神様だそうで、その氏子であった遠野の下通町辺では、五、六十年の間火事というものを知らなかった。ある時某家で失火があった時、同所神明の大徳院の和尚が出て来て、手桶の水を小さな杓で汲んで掛け、町内の者が駆けつけた時にはすでに火が消えていた。翌朝火元の家の者大徳院に来り、昨夜は和尚さんの御陰で大事に至らず、誠に有難いと礼を述べると、寺では誰一人そんな事は知らなかった。それで愛宕様が和尚の姿になって、助けに来て下さったということが解ったそうな。
「遠野物語拾遺64」ここで、気になる個所がある。結果的には愛宕の神様が火消しをしてくれた事になったというが、柄杓で水をかけ…とある記述は「遠野物語拾遺67」にもある。ただ「遠野物語拾遺67」の場合は無尽和尚が高野山の火消しをしたとなっているが、どちらにしろ神霊的な話となっている。
愛宕神社には火之迦具土神が祀られているのだが、あくまでも火の神であり、この火の神を鎮める為に祀るのであり、火之迦具土神が火消しをするわけでは無い。綾織にある愛宕神社には早池峯の神である瀬織津比咩が祀られているが、瀬織津比咩は水神でもあり、早池峯周囲からは「お滝さん」と親しまれる水神でもある。実は「愛宕」とは「おたき」もしくは「おたぎ」とも読む。かっての山城国にあった
「愛宕郡(おたきぐん)」という地があり「愛宕」が「おたき」と呼ばれていたのがわかる。
京都の愛宕を調べてみると、
大森恵子「愛宕信仰と験競べ」には、愛宕山にある月輪寺の縁起が紹介されている。この寺の縁起は「愛宕山縁起」でもあった。月輪寺は「がちりんじ」または俗称「つきのわでら」とも呼ばれている。天応元年(781年)に慶俊僧都が開いた寺と伝えられ、その後能楽の「愛宕空也」に登場する空也上人も参籠したという。その月輪寺の祖師堂には空也上人が安置され、境内の龍王堂には、伝龍王像が祀られている。その龍王像は、月輪寺境内に湧き出る「清泉龍女水」の龍神を彫ったものだという。
この縁起を簡単に紹介すれば、愛宕山上に水が無く人々も困っていると龍神に懇願したところ、その願いを聞き届けたというのは、東禅寺で無尽和尚が早池峯の神に開慶水を願った譚と同じである。これと同じ事が能の「愛宕空也」でも演じられているのだ。つまり愛宕が火防であるのは、火災の難から免れる為に、水神の御利益を得る必要があったという事。水と火の関係は、陰陽五行でいう「水剋火」であり、火の神である火之迦具土神を鎮める為には、水神の助けが必要であるからだ。愛宕を「おたき」と読むが、それは
「お滝」でもあり、水の姫神が祀られているからであろう。京都の愛宕山と、その周囲の地名には、水に関するものが多くあるというのもひとえに水神が愛宕山と、その周囲を覆い、火を鎮めているからであろう。
「遠野物語拾遺64」の場合は、愛宕の神様の火消しの話であるが、その媒介した存在は和尚であり、それは東禅寺の無尽和尚に繋がるものである。綾織の愛宕に水神である瀬織津比咩が祀られているのを考えると、遠野の愛宕神社自体にも水神が祀られていると考えて良いだろう。愛宕神社の入り口にある倉堀神社もまた水神を祀っており、片葉の葦の伝承に加え、早池峯との関連もある。とにかくその水神が、和尚の姿を借りて火消しをした。女神が和尚などの姿を借りた話は、全国に無数にある。ここはあくまでも愛宕という"水神"…突き詰めれば、早池峯の水神の霊験譚という事なのだと考える。