同じ山の附馬牛よりの登山口にも亦安倍屋敷と云ふ巌窟あり。
兎に角早池峯は安倍貞任にゆかりある山なり。小国より登る
山口にも八幡太郎の家来の討死したるを埋めたりと云ふ塚三
つばかりあり。
「遠野物語66」
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遠野には、他に貞任山が二つあり、隠れ砦と呼ばれるものも二つほどある。いや不明な場所もいれれば、まくだまだあるものと思う。遠野に住み、周囲を見渡せば遠野郷全体が、安倍貞任を慈しみ守り、伝説を育んできているというのを実感せざるおえない。その原点は、蝦夷という血、更に遡れば縄文の血になるのだろうと思う。そして、その中心となるのは、やはり早池峰山なのだろう。まるで岩の城みたいな早池峰山とそして、早池峰山頂の岩の塊。更に稜線続きで、早池峰山頂と似たような安倍ヶ城に伝説を見出したのも、岩穴での生活という縄文の血の伝承だと思う。
遠野市綾織町には蝦夷岩と呼ばれる、縄文人が住んだとされる洞穴がある。実際、その洞穴の内部からは、縄文人の人骨などが出土されている。しかし、何故縄文人の住んだ洞窟を蝦夷岩と名付けたのか。それは縄文と蝦夷の結びつきが、洞窟にあるのだと思う。ところで、蝦夷という定義を、なんと言ったものか。大抵の場合の蝦夷とは、古代の東・北日本側の土着民の広い呼称みたいなもので、縄文人から始まり、安倍の一族までと思っていいと思う。ただし、時代や地域によって異なるものだろう…。
遠野と釜石の間に、仙人峠というのがあり、そこには、沓掛窟と呼ばれる巌窟がある。この巌窟の伝説は、坂上田村麻呂が蝦夷との戦いに勝利し、この巌窟に観音を奉納したという事からだ。今では沓掛観音と呼ばれるが、その観音は十一面観音だとも云われる。そして、早つ瀬にまします観音という事から早瀬観音とも呼ばれ、今ではこの巌窟側を流れる川を早瀬川と称す。
ところで何故田村麻呂は、この巌窟に観音を奉納したのかというと、巌窟そのものが蝦夷の居城であり、そこに観音像を奉納するという事は、そこを封印するという意図があったのだと思う。つまり田村麻呂は、巌窟そのものが蝦夷の魂の棲家と捉えたからだろう。その蝦夷の魂が漂うのが、巌窟であると。そして、その巌窟を備え、天空に聳える早池峰そのものに安倍貞任の伝説が根付いたのも、理解できる。
早池峰山頂に立つと、岩手県内の山々は無論、出羽の鳥海山、津軽の岩木山が望まれ、東に目を向ければ太平洋が、それも遠く津軽の海岸線までも遠謀できる。「邦内郷村誌」には「早池峰は岩鷲、姫神と縣の足の如く東西北に立ち、以って城府を護衛す。即ち邦内の鎮山なり…。」とある。つまり早池峰とは四方八方、海へも目を光らせる山であり、この山を守るという事は、即ち遠野だけではなく、広く東北を見据えるという意味でもある。なので蝦夷の雄である安倍貞任が早池峰信仰を盛んに行ったというのも納得するのである。だからこそ、早池峰と稜線沿いに進んで、同じような安倍ヶ城に安倍貞任伝説が根付くのも当然の結果なのだと思う。蝦夷の国を見据え、蝦夷の国を守るという事は、早池峰を信仰する事なのだと。そして縄文の血から蝦夷の血の流れが安倍貞任へと流れ着き、その安倍貞任を見守る人々の目もまた、早池峰に立つ安倍貞任の影を見据え、早池峰を中心とした安倍貞任伝説が広まったものだと考える。