松崎村に天狗森と云ふ山あり。其麓なる桑畠にて村の若者何某と云ふ者、働きて居たりしに、頻に睡くなりたれば、暫く畠の畔に腰掛けて居眠りせんとせしに、極めて大なる男の顔は真赤なるが出で来れり。若者は気軽にて平生相撲などの好きなる男なれば、この見馴れぬ大男が立ちはだかりて上より見下すやうになるを面悪く思ひ、思はず立上がりてお前はどこから来たかと問ふと思ふに何の答えもせざれば、一つ突き飛ばしてやらんと思ひ、力自慢のまゝ飛びかゝり手を掛けたりと思ふや否や、却りて自分の方が飛ばされて気を失ひたり。夕方に正気づきて見れば無論その大男は居らず。家に帰りて後人に此事を話したり。
其秋のことなり。早池峯の腰へ村人大勢と共に馬を曳きて萩を苅りに行き、さて帰らんとする頃になりて此男のみ姿見えず。一同驚きて尋ねたれば、深き谷の奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死して居たりと云ふ。今より、二三十年前のことにて、此時の事をよく知れる老人も今も存在せり。天狗森には天狗多く居ると云ふことは昔より人の知る所なり。
「遠野物語90」天ヶ森の頂には古峯の小さな石碑が、ぽつねんと存在している。霊山として、また天狗が登場する山として「遠野物語」にも紹介されているにもかかわらず、拍子抜けの頂の風景ではある。ところが、この古峯の石碑の示すものは、やはり栃木県日光の古峯ヶ原の影響があったのだろう。
古峯ヶ原の天狗譚の多さは、恐らく全国一という事だ。その古峯ヶ原の威名が全国に響いたのが、文政7年(1824年)将軍家斉が、日光社参の際、騒動を起こさぬよう日光山の天狗全員に対して、退去命令が出された。それが日光社参奉行でもある水野出羽守と連名で建てられた事により脚光を浴びたという。
実は幕府は、それ以前から根回しをし、古峯ヶ原の前鬼隼人という天狗を使役するという天狗界のボスを抱きこんでからの天狗退去の高札だったらしい。それから古峯ヶ原の名声が上がり、他山の天狗との格差を付けたのだという。これから古峯ヶ原に対する信仰は全国に広まったのだが、特に東北地方は顕著であったらしい。そして当然、天狗の霊威を示す天狗譚が、東北各地に駆け巡ったようだ。
「遠野物語90」での、相撲での恐ろしいまでの力、手足を引き抜く力を誇示した似た様な話は東北に広まっており、この「遠野物語90」の話も、その一部なのだろう。