昔青笹に一人の少年があって継子であった。馬放しにその子を山にやって、四方から火を付けて焼き殺してしまった。その子は常々笛を愛していたが、この火の中で笛を吹きつつ死んだ処が、今の笛吹峠であるという。
「遠野物語拾遺2」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現在「笛吹峠(ふえふきとうげ)」とは呼ばれるものの、以前は「ふぶき峠」と呼ばれていたらしい。大正時代の
「上閉伊郡誌下閉伊郡誌」によれば、「吹雪(ふぶき)」が転訛されて「ふえふき」になったと云う。また別に、この笛吹峠では別に吹雪の日に、この峠を誤って転落し、助けを呼ぶ為に笛を吹いたが発見されず、死んでしまった盲人の話もある。
この「遠野物語拾遺2」の話では、継子の為、憎まれたのか四方から火を付けられて殺されたとあるが、どこかヤマトタケルの草薙剣の話に似通っている。ヤマトタケルは、草薙の剣で風を起こし、逆に火を付けた相手に火の先を向けた。「息」とは「生き」でもあるので、人間の生命力としての「息吹」が笛対して吹き込まれ、神を呼ぶ。それ故、笛の音は神霊を呼ぶ音として適しているのだろうが、火を操るまではいかない。だから少年は焼け死んでしまった…。
ここで一つ、山梨県に伝わる「笛吹きの権三郎」という話を紹介したい。
後醍醐天皇の御代のこと、甲斐国の芹沢という村の子酉川の川辺に、京から母と息子の二人連れが移り住んだ。子の名は藤原権三郎といひ、正中の変で連座して死んだ父の弔ひのため、毎日小屋で高麗笛を吹いた。美しい笛の音に聞き惚れた村人は、笛吹権三郎様と呼んで親しんだ。
ある秋、子酉川が大洪水にみまはれたとき、母は水に呑まれて行方不明となってしまった。それ以来権三郎の笛は、深い悲しみに満ちたものとなり、村人もあまり近づかなくなってしまった。そのうち権三郎の姿が見えないことに気づいた村人は、心配になって川下の集落を捜すと、筏に乗って笛を吹く男を見たといふ者があった。筏は発見されたが、権三郎を見つけることはできなかった。
この村ではそれ以来、月のよい晩には、どこからともなく笛の音が聞えたといふ。すると村人は握り飯を作って川に流し、権三郎の霊を慰めたといふ。以来、子酉川は笛吹川と呼ばれるやうになった。
山梨県といえば、阿曽沼氏に代わって遠野を統治した南部氏の出身地である甲斐の国。もしかしてだが、南部氏が持ち込んだ話が、笛吹峠にあてられて若干の形を変え「遠野物語拾遺2話」で語られた可能性もあるのだろうか。