遠野の新町の大久田某という家の、二階の床の間の前で、夜になると女が
髪を梳いているという評判が立った。両川某という者がそんなことが有るもの
かと言って、ある夜そこへ行って見ると、はたして噂の通り見知らぬ女が髪を
梳いていて、じろりと此方を見た顔が、何とも言えず物凄かったという。明治に
なってからの話である。
「遠野物語拾遺92」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
遠野新町の大久田某の家とあるが、明治初年の地図には大久田という名前の家は記載されていなかった。では、書き間違いかと似たような苗字の名前を探しても、やはり見つける事はできなかった。ただし明治初年度の地図に記載されている名前は武士関連の名前だけであるから、大久田某という人物
は、町民であったのだと思われる。
ところで、髪は女の呪力でもあり、髪を梳く行為には一つの呪術でもあったので、自らの家の中で執り行ったのだという。もしも外で髪梳きを行った場合、鳥などに抜け毛を持っていかれ神樹などに巣を作られると、その女は気が狂うと言い伝えられた。
古代中国では、髪から魂が抜け出るとも考えられ、魂が抜け出ないように髪を結う習慣があったという。天武天皇13年「主として巫女の類の者は、結髪よりも垂髪の状態のまであることが望ましい…。」という御触れが出たのは、神霊を司る巫女は、長い髪を垂らしてこそ、その力を発揮できるものと考えられていたからだ。男が家から用事や足袋などで出てしまった場合、そこは女だけの家となる。そういう場合にも、女は髪を梳いたのだという。つまり髪を梳く行為は、家に篭り男の前を避けるものであったのだろう。
この「遠野物語拾遺92」の話は、見知らぬ女が夜になると、二階の床の間の部屋で、髪を梳いている話となっており、それはあたかも霊体であろうという話となっている。しかし先に書いたように、女が髪を梳くのは呪術であり、自らの家で行うものであったのを考えると、やはりこの女は、この家に思いを残す存在であったのだろう。物凄い顔で睨んだというような事が書き記してあるが、これは大事な呪術である髪梳きを無断で男に見られたのであるから、当然の事であるのだろう。