小槌の釜渡りの勘蔵という人が、カゲロウの山で小屋がけ
して泊まっていると、大嵐がして小屋の上の木に何かが飛
んで来てとまって「あいあい」と、小屋の中へ声をかけた。
勘蔵が返事をすると「あい東だか西だか」と、また言った。
どう返事をしてよいのか分からぬので、しばらく考えてい
ると「あいあい東だか西だか」と、また木の上で問い返した。
勘蔵は「何、東だか西だかあるもんか!」と言いざま二つ
の弾丸をこめて、声のする方を覗って打つと「ああ」とい
う叫び声がして、沢鳴りの音をさせて落ちて行くものがあ
った。
その翌日行って見たが、何のあともなかったそうである。
何でも明治二十四、五年の頃のことだという。
「遠野物語拾遺118」
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この「遠野物語拾遺118」で云われている「カゲロウの山」とは、正式には霞露ケ岳(カロガダケ)といい、岩手県山田町の船越半島の一番奥に聳える508.5mの山だ。
>勘蔵が返事をすると「あい東だか西だか」と、また言った。
この問答する物の怪を、どう捉えれば良いのだろう?飛ぶという事から、鳥・ムササビとも捉えられる。ムササビは別名「晩鳥(バンドリ)」とも云われるからだ。また別に、猿が木に飛び移ったものとも考えられる。ただ山田町役場に問い合わせると、船越半島には過去に於いても猿が生息していたという事実は無いそうだ。すると、鳥かムササビ、もしくは完全なる物の怪の類となってしまう。
ところで奇妙なのは、夜中に「東か?西か?」と問う事である。このカゲロウの山の東は太平洋が広がる。西は、山々となる。例えば山中で人間が道に迷った場合、太陽によって方角を知る。つまり「東か?西か?」という問いは、太陽の運行方向を知りたいともとれる。
「西播怪談実記」には山中、後ろで大きな羽音が聞こえ、榎に止まったのを撃ってやろうと思ったが、明け方前の時間帯と、雲が多くて確認できなかったが、奥の方から再び大嵐が吹くような音を立てて来たものがあると。その鳥が止まったと思っていた木をもう一度見ると、ウワバミがいてこちらを睨んでいたので撃った…とある。
とにかく猟師は、山中においては神経を尖らせ、いつでも反応良く鉄砲を撃つようになっている。この話しの場合は、最後にウワバミが登場しているので山の神の祟りとしての話なのかもしれない。ただ「遠野物語拾遺118」に登場する物の怪は、妙にリアリティがある。勘蔵に撃たれた後に「ああ」と叫んで沢に落ちる様も、なんともいえないリアルさを醸し出している。もしかして撃ち落したのは、物の怪ではなく人間か?などと間違えてしまいそうな程だ。
昔から俗に、年老いた動物は人間の言葉を話すのだと云う。この「遠野物語拾遺118」に登場する物の怪は、東と西の方角を気にする。つまり、太陽の昇る方向を意識しての問いなのだろう。太陽を意識するものとは、太陽の方向に向かうのか、もしくは太陽の光から逃げる為なのかだろう。勘蔵の体験したこの怪異は夜中であり、その夜中に飛び交う物の怪とは夜行性であろうから、一般的な場合は太陽光を嫌うものなのだと思う。
また福島には15夜の晩に、東枕で寝て夢に猿が現れると、人が死ぬという俗信があるようだ。これは15夜に東に頭を向けて寝ると猿が現われ死を呼び込むという話しだが、ここでは勘蔵が小屋掛けした晩には月が出ていたのかどうかもわからない。ただ太陽と月が重なるのは良くないと言う俗信からなのだろう。
どうも勘蔵の前に現われた物の怪は、敵意を示しているのではなく、純粋に東の方角を知りたかっただけなのだと思う。ただ、その真意に関しては謎のままである。