遠野の附馬牛に、荒川渓流がある。他県から来たある釣り人が、この荒川渓流で釣りをし、その帰路での話しであった。荒川渓流のある程度のところまで、民家は存在する。だからたまに、荒川渓流沿いの舗装道路を、その地域のお爺さんやお婆さんが歩いている姿を見かけるのだと。
この釣り人、釣りを終えて車の場所まで道路を下っている最中、舗装道路をゆっくり登ってくるお婆さんに出会ったそうな。そして「釣りですか。」と、優しく声をかけられ、それに対し、軽く会釈を返したというのだが、その後振り返ると、そのゆっくり歩いている筈のお婆さんの姿が見えなくなったというのだ。実はこの釣り人、数年前にもやはりこの荒川渓流に釣りで訪れ、同じ体験をしていたというのだ。どう考えても、あの歩く速度から急にいなくなる筈も無く、とても不思議であったと。この釣り人は、遠野らしい体験でしたと生々しく語ってくれたものだった。
よく聞く物語では、山中で登場する爺様であり婆様は、観音様であったり、川の主、山の主であったりと、何かの化身である場合が多々あるが、大抵の場合、お告げを告げた後に忽然と消える場合が多い。しかしこの話の場合は、ただ優しく声をかけられただけというのは、山ノ神が婆様の姿を借りて現れたのだろうか?たんたんとした静かな話ではあるが、何故か遠野の不思議を垣間見る話でもあった。