道路上にある信号の青信号を青とは言っているが、実は緑色であると皆認識している。古代の日本もまた同じで、青と緑とは同義であった。 緑とは翠とも書き表し、要は翡翠の色でもあった。その翡翠 そのものは、青玉とも呼ばれていた。つまり翠=青である。
「白山之記」というのがあり、こう書かれている。
「一つの少高き山は剣の御山と名づく。この麓に池水あり。
翠の池と号す。たまたまその水を得てこれを嘗むれば、
齢を延ぶる方なり。大山の玉殿あり。翠の池よ権現出生
し給ふなり。」 この翠の池より現れたのは、お馴染み?の九頭龍であり、また「白山大鏡」に記載されている内容は…。
「深沙竜宮底の洞。伝く、白山娘の住まいにして九頭八龍が居る…。」 まずはじめに、白山を開山した泰澄自身が秦氏だったという事。また白山周辺には、どうも多くの秦氏が存在していたようだ。ちなみに、泰澄と役小角が開山した愛宕山も「白山」と言うそうである。
当然泰澄は秦氏であるから、思い出すのは八幡信仰。平安京遷都でも力を示した秦氏の本拠は葛野。実は「白山大鏡」で記載されている「九頭の八龍」とは「葛の八幡」にかかってくるらしい。八幡と宗像の結び付きを考えれば、当然白山の翠池とは天眞渟名井の信仰が入り込み、月の変若水信仰へと結び付く。
橋野の沢の不動の祭りは、旧暦六月二十八日を中にして、年によって
二月祭と三月祭の、なかなか盛んなる祭であった。
この日には昔から、たとえ三粒でも必ず雨が降るといっていた。そのわ
けは昔この社の祭の前日に、海から橋野川を遡って、一尾の鮫が参詣
に来て不動が滝の滝壺に入ったところが、祭日に余りに天気がよくて川
水が乾いた為に、水不足して海に帰れなくなり、わざわざ天から雨を降
らせてもらって、水かさを増させて帰って往った。
その由来があるので、今なおいつの年の祭にも、必ず降ることになって
いるといい、この日には村人は畏れつつしんで、水浴は勿論、川の水さ
え汲まぬ習慣がある。
昔この禁を犯して水浴をした者があったところ、それまで連日の晴天で
あったのが、にわかに大雨となり、大洪水がして田畑はいうに及ばず人
家までも流された者が多かった。わけても禁を破った者は、家を流され、
人も皆溺れて死んだと伝えられている。
「遠野物語拾遺33」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野物語拾遺33」には、やはり水に関する禁忌がある。その祭りの日には、必ず”3粒”でも雨が降り、その祭りの日に、その淵で水浴びや水浴びをすると、祟りを受けるというもの。写真は、この「遠野物語拾遺33」の舞台である滝沢神社となる。淵の上に建立された本殿と、その下に広がる淵。その淵に水を注ぎ込む滝がある美しい景観の神社だ。確か…岩手県の景観賞も受賞していたと思ったが、それだけの景観を魅せてくれる神社だ。この神社を舞台とした「遠野物語拾遺33」に登場するキーワードは「3粒の雨」と「鮫」と「水の禁忌」だろう。また、この神社の脇には、注連縄を張った女神が降り立ったとも聞く石が存在するというのも、遠野の東禅寺の来迎石を髣髴させる。
ところで話は変わるが、
諏訪の七不思議の中に、こういうものがある…。
「宝殿の天滴」
「どんなに晴天が続いても上社宝殿の屋根の穴からは1日3粒の水滴が
落ちてくる。日照りの際には、この水滴を青竹に入れて雨乞いすると
必ず雨が降ったと言われる。」 また、この「宝殿の天滴」が、天竜川の水源だともいわれている…。