愛宕の神が、いつしか武神となったのは勝軍地蔵が本地仏となってからだった。勝軍地蔵の本来の姿は、白馬に乗り武装した姿に加え、勝軍という名が、いかにも戦に勝つというイメージが各諸大名に支持されて、愛宕大権現に対し、厚い信仰の意を表したのだと。
しかし本来の勝軍地蔵の姿は、全国に広まるにつけその本来の姿から変わっていった。勝軍地蔵という名の本来は、蛇神、もしくは風神としても現されるミシャグチとして諏訪にも祀られる神であった。そのミシャグチ、もしくはシュクジンに漢字をあてて、何故か勝軍(将軍とも記す)となったという。
そのミシャグチ神の本来の姿は、右手に宝剣を立てて持ち、左手には宝珠を持って、白馬にまたがるというものだ。これを武装した存在と解され、武神として諸大名に信仰されたのだったが、白馬にまたがり宝剣と宝珠を持つ姿で有名なのは、曹洞宗の三大本山の一つである、永平寺に祀られる白山妙理大権現像である…。
右手に剣を持つ像の大抵は、不動明王像であるが、では左手に宝珠を持つ像に何があると調べると、吉祥天などとなる程度で、この剣と宝珠を持つ像を探しても、白山妙理権現以外に見つからないのが現状である。ただもう一体だけ同じ形態であるのは勝軍地蔵だけとなる。いやもう一体は、瀬織津比咩像となる。
ところでミシャグチには、白の信仰が結びつく。つまり、白山信仰だ。愛宕には秦氏の一族である泰澄が絡んでいるというのは、以前書き記した通り。その為、愛宕信仰の本義は白山信仰であり、その白山信仰と結び付くミシャグチは愛宕の本地仏である勝軍地蔵である為、勝軍地蔵の姿と白山妙理権現の姿が同じ形態であるのもうなずけるのである。そして当然、瀬織津比咩の姿もまた重複する。
愛宕山の大鷲峯山腹にある、天台宗に属する月輪寺という寺がある。この寺は、愛宕五山寺の一つで、本尊は阿弥陀如来であると。
天応元年に慶俊僧都が開いた寺と伝えられ、境内の龍王堂には、平安時代に作られたという伝龍王像がが祀られていると。この龍王像は、月輪寺境内に湧き出る「清泉龍女水」の龍神を彫ったものとされ、「愛宕山縁起」に関する話、空也上人が愛宕山に参詣したおり、女人に変化して現れた大蛇が成仏を願ったので、念仏を受け、その代わりに清泉を湧き出させたという話がある。若干違うものの、遠野の東禅寺の伝説にある開慶水の伝説に酷似している。ちなみに空也上人も、十一面観音などを彫る仏師でもあった。
また愛宕月輪寺は補陀洛山としてもある為、補陀洛渡海最大の拠点でもある、熊野那智の影響を受けているのがわかる。その熊野の那智の滝に鎮座するのが瀬織津比咩であるのは、いうまでもない。