「青い月」という言葉があるが、本来「青」とは水を称える色でもある。しかし「青」の旧字体は「靑」であって、植物の下に井戸を兼ね備えた漢字であり、赤を意味する「丹」という文字も含まれていた。そこで本来の水を意味する為、水の精でもある月が組み込まれ「青」となった。
「淮南子」には月を称して
「積陰の寒気は水となり、水気の精なるものは月となる。」また
「方諸月を見れば、すなわち津して水となる。」とあり、月はやはり水を生み出す精でもあった。
露は、空気中の水蒸気が地面近くの冷たい物体の表面に凝結して水滴となったものとして現代では理解されている。しかし古代においては、露とは月が作るものであったようだ。雨も降っていないのに、知らない間に草木が露で濡れている。勾玉も時には自然に露で濡れたのだ。山幸彦が海神に授かった塩盈珠と塩幹珠とは勾玉のイメージを含み、月の象徴、水の象徴でもあった。
しかし、その露を太陽が高みに昇る昼間には、月が作り出した水の露を消してしまう。まさに、対極にあるのが太陽と月だ。だから、太陽の色には「白」が当てられ「白々しい」という白日の下に晒すという意味がある。しかし月の色は「青」であり、あくまでも「水」を発生させるという水を意識した色である。
話を七夕に戻すが、「大宝律令」の中に雑令というのがあり「およそ正月1日、7日、16日、3月3日、5月5日、7月7日、11月の大嘗日を節日とせよ。」とある。7月7日は7という陽の重なる日であるから、本朝五節句の一つとされている、祝いの日でもあった。
「日本書紀」持統5年7月7日の条に「公卿に宴し、よって朝衣を賜う」とありも「続日本記」天平6年7月7日の条では「天皇、相撲の戯を観る。この夕、南宛に徒御し、文人に命じて七夕の詩を賦さしむ。」とあり、現代で言えば楽しいイベントの日になる。
ただ「延喜式」には”織女祭り”とある。ただ足掛け2世紀で刊行された日本初の国語辞典と呼ばれる「和訓栞」には「たなばたつめ、倭名抄に織女を訓ぜり。万葉集も同じ。棚機姫神をして、神衣を織らしめたまうこと、古語拾遺に見えたり。よて織女を”たなばたつめ”」といいしより、織女星をも同じく名づくるなるべし。」とある。
では”たなばた”とは、正確には「棚機」であり、普段生活する場所よりも、一段高いなどという特別な空間となる。つまり非日常空間の祭祀的な場所だと思えばいいのかもしれない。
日本人は「昔の事は水に流しましょう!」などと言うけれど、七夕流しとか七夕送りというものは、本来棚機が水辺の祭祀でもあり穢祓い、禊祓いでもあったものが、7日の節句の夕べに祭るものと、やはり中国の説話が結び付いてのものだったと思う。
万葉集には…。
「伏して来書を辱くし、具さに芳旨を承りぬ。漢(あまのがわ)を
隔つる恋を成し、復梁を抱く意を傷ましむ…。」
ここまで七夕が普及したというのは、恋する男女が隔てられる悲恋という物語が人々の心を揺さぶったからなのだろう。七夕は「棚機」とは書き記したが、7月7日の夕の宴が結び付いての七夕なのだけど、棚機というものには「棚機津女信仰」というのがある。多分、神に仕える巫女だと思うが、水辺の棚に設けた機屋に一晩籠って神の降臨を迎える。そして、翌朝帰り去る神に穢れを持ち去ってもらうという信仰があり、これが先に記した「七夕送り」「七夕流し」というもので、ここでも気になるのが、鹿葦津姫、阿蘇津姫と同じに何故か「津」が付く…。
ところで気になるのは、七夕が普及したのはやはり悲恋である牽牛と織姫の話だとは思うのだが
「竹取物語」では
「在る人の「月の顔見るは、忌むこと」 と制しけれども…。」とあり、また
「新・古今和歌集」には…。
袖ひちてわが手にむすぶ水の面にあまつ星あひの空をみるかな
「新・古今和歌集」に記されている時代は、盥に水を張って、そこに映る星影を見ていた風俗があったのがわかるが、もしかして直接、天空の星や月を見るのは忌み嫌われたのか?いや、銀閣寺の池は、その池に映る月を見るのが風流であった為に設計された池であるので、その時代の風雅な一面だったのだろうか?そういや、恋する相手をじろじろ見るのは趣悪ろしともいうので、その辺だろうか?(^^;