本来の伊豆神社の別当は、代々堤家が執り行っていた。しかし堤家に代わり、現在は外来の宮司が伊豆神社の祭祀を執り行っている。伊豆神社の祭神は瀬織津姫なのだが、この来内の地を見渡すと、瀬織津姫が鎮座している筈の早池峯山を感じないのだ。ただし伊豆神社の並びにある山神の鳥居と石碑は、北である早池峰の方を意識して建てられている。ただし、伊豆神社の並びである為に、伊豆神社建立の後で、この山神の鳥居と石碑は建てられたのだろうと察する。
とにかく来内全体を見渡した場合、早池峯山よりも六角牛山がその威容を示している。また周囲の白龍権現や蛇の伝承などから、雪を被った六角牛そのものに、白蛇であり白龍の意識が伝わっているような気がする。つまり本来、来内村では六角牛山に対する尊敬の念と信仰があったのだが、後に流れてきた始閣藤蔵の影響により、更なる遠くに聳える早池峯山に対する信仰が始まったのではないのかと考えてしまう。
とにかく来内全体を見渡した場合、早池峯山よりも六角牛山がその威容を示している。また周囲の白龍権現や蛇の伝承などから、雪を被った六角牛そのものに、白蛇であり白龍の意識が伝わっているような気がする。つまり本来、来内村では六角牛山に対する尊敬の念と信仰があったのだが、後に流れてきた始閣藤蔵の影響により、更なる遠くに聳える早池峯山に対する信仰が始まったのではないのかと考えてしまう。
ところで天から降りて来た
霊華とは
”蓮華”であり、この蓮華は
マタギの隠語では
”心臓”を意味する。となれば伝説の解釈次第では、長女を殺して末の妹が早池峰山を奪ったとも成りえる。それを更に解釈すれば、元々六角牛山の姫神を祀っていた来内という地が、早池峰山に変更になったという解釈の仕方もあるのでは?と考える。何故なら”山”を里に伝えるのは、山伏かマタギであるからだ。来内の地から見えない早池峰山と、その早池峰山の方向に向けて建立された伊豆神社。早池峰山に鎮座した瀬織津比咩を祀る伊豆神社とは、本来祀られていた六角牛の姫神を変える為の手段であったのかもしれない。
伊豆神社で三女神がわかれた伝説がいくつかあるのだが、早池峰神社が鎮座する大出地域の手前に小出という地域があり、そこに神遺神社(かみわかれじんじゃ)がある。遠野三山の女神は、ここから別れたとあるが
「山深き遠野の里の物語せよ」の著者である
菊池照雄氏によれば、神遺神社の方が古いだろうという見解を示している。
この神遺神社のある小出には、奇怪な岩が存在する。その名称も多岐にわたり「次郎石」「夫婦石」「もののけ岩」などとあるが、もう一つ「地蔵岩」とも呼ばれる。この岩の傍を流れる渓流を地蔵沢といい、実は三女神が別れの前の晩に、この地で過ごしたというのだ。ここで小岩に伝わる、三女神の伝承を紹介しよう。
三女神が、各々行く先の山が決まっての別れの前の晩、この地蔵沢で身を清めて翌日の別れにそなえたという。早池峰山に行く殊になさった三女のお早は、早々に早池峰へと向かった。長女であるお六は、六角牛へは大変だとだだをこねたが、村人がやってきて牛を与えたと。そして、そのままお六は牛に乗って六角牛へと向かった。さて一人残った次女のお石は石上山へと向かうのだが、心配した地蔵が石から抜け出して、お石を連れて石上山へと向かっていったと。その地蔵が抜け出した岩が地蔵岩であり、小出の地域では神の石と呼ばれ祀り、毎年12月12日にお祭りをしたという事である。
地蔵岩は画像の通り、人がすっぽり入る奇岩である。おそらく時代ごとに、この岩に対して伝説が作られ語られたものと思われる。現在は次郎石と呼ばれる地名となる場所だ。ところで伊豆神社に伝わる伝承では、長女は石上山へ行き、次女が六角牛山となっているが、小出に伝わる伝承では、逆になって長女が六角牛山となっている。