青々たる春の柳、家園に種ゆることなかれ。交りは軽薄の人と結ぶこと
なかれ。楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。軽薄の人は
交りやすくして亦速かなり。楊柳いくたび春に染むれども、軽薄の人は
絶えて訪ふ日なし。
この序文↑に「菊花の約」のテーマが述べられている。
よく「菊花の約」は、ホモの作品だとも呼ばれる俗説がある。これは肛門を菊の花と呼ぶ隠語がある為だが、物語を通して読むと、そんな事は微塵にも感じられない。
ところで桜と並び菊は、日本人が愛してやまない代表的な花でもある。本来、薬用植物として育てられた菊には、長寿をもたらす効能があると信じられ、不老長寿のシンボルとみなされていた。
易学では九の数字はプラス思考の陽数で、九の重なる9月9日は重陽と呼び、特別の日とされた。重陽の日に菊花を酒に浮かべて飲めば、厄を払い寿命を延ばすと云う。丈部左門と赤穴宗右衛門との再び会う約束は、9月9日…。
しかし、二人は生きて会う事は無かったのだが、ある意味上田秋成の皮肉の成せる業と捉えていいのではないか?9月9日、漢の詩人である陶淵明が酒を切らして自宅側にある菊の花の群生の中で寝ていたら、白衣の不思議な人物が現れて酒をご馳走してくれて酩酊して帰ったという話がある。また「古今和歌集 巻五」に紀友則の詩に下記のようなものがある。
(きくの花の下にて人の、人待てる形をよめる)
花見つゝ人まつ時は白妙の袖かとのみぞあやまたれける
あきらかに陶淵明の故事が見て取れて、その影響も上田秋成の中にも及ぼしたのでは無いだろうか?
もう一つ感じるのは、上田秋成の文学、特に「雨月物語」は、別れの文学か?と思わせるものがある。「雨月物語」においての殆どが、決して結ばれる事の無い悲劇で終わっているのも、生い立ちによるものなのだろうか?
「雨月物語」が完成されるまで、秋成は幼い頃に母を亡くし、養父母を亡くし、火災で全てを失った後に「雨月物語」を完成させている。この「菊花の約」も、出会いの後に幻想的で美しい別れが訪れる。自分を産んだ母に先立たれ、養父母を失った上田秋成であるが、「雨月物語」でのあらゆる話は、出会うべくして出会った者達が、悲しい別れを告げている。「白峯」については悲しいのか?という疑問の声も上がると思うが、これはいずれ「白峯」の時に書く事にしよう…。
上田秋成の歌がある…。
「幻の人のゆくへたづぬればおのが心にかへるなりけり」
ほぼ晩年の歌であるが、この歌には上田秋成の人生が凝縮されてあるような気がしてならない。生での出会い、死後の出会いも含めて、その人の痕は、自らの心に刻まれ生きているのだという上田秋成の悟りというべきもの。
様々な出会いと別れを自らの中で消化してきた秋成は「菊花の約」を書き綴った。菊の花は伝説が伝える通り、命の永遠性を示すもの。それが「菊花の約」では、運命的な出会いによって兄弟の契りを結んだ赤穴宗右衛門の魂との出逢いがある。生きている者であれ、それが魂だけであれ、その当人にとってその想い出は自らの中に刻み込まれ、それがあたかも自らか滅するまで、永遠のものであるかのような歌の意味にとれるのでは無いだろうか…。