安倍宗任の妻「おない」の方は「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘を引き連れて、上閉伊郡の山中に隠れる。其の後「おない」は、人民の難産・難病を治療する事を知り、大いに人命を助け、その功により死後は、来内の伊豆権現に合祀される。
三人の娘達も大いに人民の助かる事を教え、人民を救いて、人民より神の如く仰がれ其の後附馬牛村「神遺」に於いて別れ三所のお山に登りて、其の後は一切見えずになりたり。
それから「おいしかみ」「おろくこし」「おはやつね」の山名起これり。此の三山は神代の昔より姫神等の鎮座せるお山なれば、里人これを合祀せしものなり。
(注)これから養蚕が振興され、オシラサマも普及したというが…。 坂上田村麻呂、東夷征伐の時、奥州の国津神の後胤なる玉山立烏帽子姫という者あり。田村麻呂は東奥を守護せり後、立烏帽子姫と夫婦になりて、一男一女を産めり。其の名を「田村義道」「松林姫」と言へり。
其の後「松林姫」は三女を産む。「お石」「お六」「お初」と言った。三人は各所にありしが牛や鳥に乗りて集まりし所を附馬牛という附き馬牛にて、到着の儀なり。
天長年間、「お石」は我が守護神として崇敬せし速佐須良姫の御霊代を奉じて石上山に登り、「お六」は、守護神の速秋津姫の御霊代を奉じて六角牛山に登り、「お初」は瀬織津姫の御霊代を奉じて早池峰へと登った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伊豆神社に伝わる伝説に、田村麻呂と安倍宗任に関するものがある。そしてそれは、養蚕と結び付いて、オシラサマにも繋がったと云うのは一般的な見解となる。ところでオシラサマには、烏帽子を被った男と馬に女という姿がある。
ただ以前、北海道の神社に古くから
象の顔をした
オシラサマがあるという報告を聞いた。
象頭人身となれば、
歓喜天を思い浮かべる。俗に夫婦和合と子宝祈願の象徴ともなるようだが、種は鉱石の隠語でもある事から、歓喜天も鉱石の増産を祈願したものでもあったようだ。歓喜天の説話に、性欲が強烈なため暴威をはらう事から、
十一面観音菩薩が、自らの身を女人に変えて、歓喜天という魔王を受け入れ、その性欲を処理して、仏法の守護神となったというものがある。
ところで画像は、伝承園内にある”オシラ堂”のオシラサマだ。その顔立ちを見ると、烏帽子を被っていのは神像か男であろうという前提のもとに製作されているようだ。しかし、ここで疑問を感じる。本当に、烏帽子?を被っているのは男なのであろうか?先の伝説に登場する烏帽子姫、もしくはオシラサマ像の一つであろう、歓喜天像にからむものならば、烏帽子と思われる箇所は観音の頭にある十一面の可能性もあるのではないだろうか?
もしも烏帽子姫ならば、早池峰の姫神である瀬織津比咩の祖母ともなるか、もしくは烏帽子姫=鈴鹿権現=瀬織津比咩という図式もある為、烏帽子を被った像は、早池峰大神=瀬織津比咩とはならないたろうか?また歓喜天像というオシラサマ像があるのなら、その相手は当然十一面観音となる。この十一面観音は瀬織津比咩の垂迹となる事から、この烏帽子を被り、養蚕の振興と信仰に関わったものであるなら、その姿は早池峰大神であのが一番相応しい聞かするのだが…。