天明6年(1786)、羽後国由利郡上浜村小砂川(秋田県鳥海山麓)に旅した京都の医師である橘南谿が、その時の体験談を
「東遊記」に
「羽州の鬼」として書き記している。
橘南谿が、その地を通ったのが申の刻(16時過ぎ)で雨が降っていたと。それから三里の道程を行けるかとうか、老夫に問うと、眉をひそめてこう言った。
「急げは行きつけるでしょうが、この辺りは鬼が出て人を取って食い、
初めは夜ばかりで あったのが、この頃は昼も出て、人でも馬でも
差別なく食うようになりました。この道も鬼の出るところなのに、
食われずに来られたのは運が強いのです。」
橘南谿は、同行の者と呆れたという。
「今時、鬼などいる筈もないのに…。」
ところが次の家で時刻を尋ねると、その家の主人は驚いて言うには…。
「旅の人は不敵な事をおっしゃる。この先は、鬼が多くてとても無事
では行かれますまい。昨日はこの里の八太郎が食われ、今日は隣村
の九郎助か取られました。恐ろしい事です。」
まさかこの時代に鬼などいる筈も無いと思っていた橘南谿は、行く先々で「鬼が出る」と言われ、疑心暗鬼になっていたところ、一人の男から詳しく聞きただすと、やっとそれは”鬼”ではなく”狼”で有る事がわかったという。実は、東北では
”狼”とは言わずに
”お犬”と呼ぶ事から、それが
秋田弁訛りとなり
”鬼”と聞き間違えたという話がある。
この訛りというのは厄介で、例えば遠野市青笹町中妻という地名があるが、この”中妻”は本来”中島”と言ったのだと。土地の調査の時に、地元の人間に地名を聞いたところ
「なかづま」と発音したという。しかしこの地は、川が氾濫すると盛り上がった岡が中島になる事から”なかじま”であったのだが
「なかづま」と発音したのに加え、字も書けない人物だった為、調査員は適当に漢字を充てて
「中妻」となった経緯がある。ほんに訛りとは、恐ろしいものか?(^^;