「遠野物語バージョン」たそがれ時に外に出ていた女や子供が、ふと見えなくなってしまうことがある。これを神隠しといい、他郷でもよくあることである。松崎村の寒戸というところで、若い娘が梨の木の下に草履を脱ぎおいたまま、ふっつりと行方をたってしまった。それから30年余りすぎたある日のこと。親類縁者の人々がその家に寄り集まっているところへ、この女がひどく老いさらばえて帰ってきた。どうして帰ってきたのか、とたずねると「おまえ様達に会いたくなったので帰ってきた。ではまた行こう。」と、再びどこかへ姿を消してしまった。その日は風が烈しく吹く日であった。そこで遠野郷の人は、今でも風の騒がしい日には、今日は寒戸の婆が帰ってきそうな日だな、というのである。
「オリジナルバージョン(真実の物語)」遠野の松崎村登戸
(ノボト注1)に、茂助と云う家があった。この家のサダという娘、ある秋の日に裏の梨の木の下に草履を脱ぎ置きしまま、行方不明となった…。
このサダという娘が行方不明となり何十年か経ったある秋の人々が集まっているゴオシュ
(注2)の日、そのサダが帰ってきた。娘時代のサダの顔を知っている者はもう少なくなっていたが、知っている者は名乗られて、その変わりように皆驚きを隠せなかった。サダの事を知らない子供達は、昔話に出てくる山姥そっくりのサダの姿を見、大騒ぎになり、泣きじゃくる子供もいたという。昔ながら、一度山に入った者は家の敷居を跨がないという。その為、サダは側の小屋に泊まり、いつの間にか行く先を告げずに姿を消したと云う。どうやらサダの行き先は、六角牛山であったようだ。この後毎年一度は、サダが六角牛山から下りて家に帰ってくるようになった。ところが、サダが台風の使者であるかのように、サダが姿を現すと決まって遠野は大暴風雨になり、そのつど村は、大きな被害を受けたものだと云う。
サダの来訪が村に被害をもたらす為に、村方にねじこまれた茂助の家では、山伏・潮来などの法力者に道切りの法をかけてもらったという。この道切りの法は、襲いかかってくる怨敵や悪人の道を塞ぎ、魑魅魍魎を降伏させる為に、紙の人形を怨霊などの依り代として筒の中に封じ、まじないの後に川へと流し、サダの来る青笹村との村境に結界をたてた。その後、サダは訪れる事は無かったと伝えられている。
六角牛の尾根に通じる土淵村山口のぶんだ峠の入り口に、南沢という屋号の家があるがこの家の子供達が夜寝付かないで泣いていると「いつまでもうるさくしていると、モンスケ婆様が来るぞ!」と言われて子供達も泣きやんだという。モンスケは茂助の家の娘であるサダを示していると伝えられている。
注1 遠野物語では柳田國男が聞き間違えたのか、印刷ミスなのか定か
ではないが、ノボトをサムトとして紹介してしまった経緯がある。
ただ柳田自身が意図的にサムトとしたという説もある。確かに、
語呂を考えるとサムトの方が、なんか良いなぁ(^^;
注2 10月の庭仕舞いの後に行われる先祖供養の行事。