百万遍という名は、元弘元年(1331)に疫病が大流行した折りに八世円空上人が後醍醐天皇の勅命により、御所の紫宸殿に7日間篭って念仏を百万遍唱えたところ疫病が治まった事から、後醍醐天皇より百万遍と云う寺号を賜ったところからだと伝わっている。
浄土宗の四本山のひとつに百万遍智恩寺というのがあり、賀茂神社の神宮寺としての起源を持つ。古来からの賀茂氏との繋がりが浄土宗ながら、天狗が匂ってくる。
入り口には大きな下駄を模したオブジェが置いてあるので判り易い。けれど、ここまでの道路は国道からひとつずれているので、わかり辛いかも?
入り口の鳥居を過ぎるとなだらかな坂道を登り、次の鳥居へ到着する。周囲は植林された杉林であるが、昔は畑だったのでは?と感じる。
鳥居を潜ってから、坂道の勾配も少々きつくなる。昔は、藪をかき分けて進んだイメージがあったけれど、今は整備されているのか…道が広くなった(笑)そして、フト上を望むと羽黒岩と神殿が見える。お堂には羽黒権現が祀られ、別当の家には鋳鉄製の懸仏(大同二年の銘)が保管されている。
カメラが極端なワイドレンズなら良かったのだけど、この羽黒岩…実は巨石のツインタワーなのである。羽黒岩、別名「とがり岩」は巨岩屹立尖塔の如しと形容されていて、古い石上信仰の姿が残り、この石の苔を病人の為に採取して薬にしたこともあったという。
とがり石と矢立松が昔、背比べをし、途中現れた天狗が
「石の分際で樹木と背比べをするとは何事だ!」と石のてっぺんを下駄で蹴った為に、上部が欠けてしまったそうだという話が残っている。また、石が背比べで負けたので悔しがり、頭にきたので二つに裂けたとも伝えられる。
ところで、この一体ではよく天狗の大笑いや天狗の石礫が聞こえたり飛んできたとも言われている。それと天狗倒しという、どこからか木の倒れる音が響くと云われる。
坂上田村麻呂伝説
田村麻呂将軍の蝦夷征伐の時、首領の岩武をこの地に追い、弓矢で射殺した時の鉄の鏃が、古い松の根元からでてきたとそうである。