五穀豊穣の願いから、大地に種を根ざす為に出来たものである。
そして、子宝を授ける神とし、現在でもその信仰は盛んである。
現在のコンセイサマの石は一度失せてしまったのが、昭和47年
に山で発見されたものである。しかし、常に大きい方が徳とされる
ので今後更に大きな石が発見されれば、現在の石に取って代わ
るかもしれない。
コンセイサマは、金勢様もしくは金精様とも書く。子宝を願う婦女子
が、ここに奉納されている赤い小枕を一つ借りてきて、腰元に置き、
願いが叶えられれば二つにしてお返しする慣わしとなっている。
それと婦人の腰の痛みに効くと云われる為、この御神体で腰を摩る
と、痛みが引いたとも云う。
ひっそりした山の奥へと入る感覚でのぞむと、山崎のコンセイサマ
を奉っている建物が見えてくる。
すると、巨大な男根を形どったオブジェが目に入る。
側には更に、男女の陰陽を形どった石がある。生産としての神という姿が
本来であると伝えられているコンセイサマだが、背後の山頂は賽の河原で
あり、この地は「死と再生の地上曼陀羅」とされていたという事から仏教
でいう「本有」の世界観が示されているのかもしれない。
死んだのち次の世界(来世)へと生まれ変わるまでの「死有」から「生有」ま
での四十九日間を「中有」と呼ぶ。
「中有」は「中陰」ともよばれ、死後四十九日目を「満中陰」というのは、この
時「中有」が終わり、死者は次の「生有」(来世)を迎えるからだ。
そのシステムを示しているのが、ここ山崎のコンセイサマなのだろうか。
元々オーガスムスには「小さな死」という意味があり、生には死がつきも
のという世界観は日本だけに留まらず、世界中に広がっている。つまり死
の後には、必ず生ありなのであろう。その世界観を示す代表的な象徴が
男と女の陰陽石であろう。