遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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遠野不思議 第四十一話「おせんが淵と蛇洞」

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小友町の上鮎貝に、上鮎貝という家がある。この家の全盛の頃の事と言う。
家におせんという下女がいた。
おせんは毎日毎日後の山に往っていたが、そのうちに還って来なくなった。
この女にはまだ乳を飲む児があって、母を慕うて泣くので、山の麓に連れ
て行って置くと、おりおり出ては乳を飲ませた。
それが何日か過ぎて後は、子供を連れて行っても出なくなった。そうして遠
くの方から、おれは蛇体になったから、いくら自分の生んだ児でも、人間を
見ると食いたくなる。もはやここへは連れて来るなと言った。そうして乳飲児
も、もう行きたがらなくなった。
それから二十日ばかりすると、大雨風があって洪水が出た。上鮎貝の家は
本屋と小屋の間が川になってしまった。
その時、おせんはその出水に乗って、蛇体となって小友川に流れ出て、氷
口の淵で元の女の姿になって見せたが、たちまちまた水の底に沈んでしま
ったそうである。
それからその淵を、おせんが淵といい、おせんの入った山をば蛇洞という。
上鮎貝の家の今の主人を浅倉源次郎という。
蛇洞には今なお小沼が残っている位だから、そう古い時代の話では無かろ
うは、同じ村の松田新五郎氏の談である。      遠野物語拾遺三十

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某家の裏手へと足を伸ばすと、蛇洞と呼ばれる
f0075075_154011.jpg
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「遠野物語拾遺」では、今でも小沼があるという事だが、現在は、ささやかに
水の流れを感じる程度だ。

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実は小友町には、このおせんの話とは別に「二口女」の話があり、ストーリー
はこの「おせんが淵」話と同じなのである。二口女が変化する話は以外にあっ
て、東日本では鬼・蛇に変化するものが多く、西日本では蜘蛛に変化するのが
多いようである。
by dostoev | 2006-03-01 15:29 | 遠野の妖怪関係 | Comments(17)
Commented by 鬼喜來のさっと at 2015-11-14 22:22 x
先程、疑問があって「遠野じぇんごたれ」でとらねこさんに質問してきたんですが、猫神と皿屋敷伝説との関係で、盛岡市の大泉寺に伝わるお菊の皿について気になったので、ずいぶん前に買った伊藤篤著『日本の皿屋敷伝説』という本を読み返していたところ、滝沢市篠木に伝わった皿屋敷伝説に登場する綾織越前と言う人物が出て来たので調べると、元々は遠野阿曾沼氏の一門(阿曾沼広長の異母兄か?)で、遠野の綾織を苗字の地とし、越前堰と言う治水事業に関わった人物であるということが解ったんですよね。で、この綾織越前が屋敷を構えた場所とされる滝沢市の曹洞宗清雲院と、越前の監視役であった南部藩家臣武田丹後の居館跡とされる曹洞宗東林寺を結ぶと浮かび上がったのが、やはりもう一つの皿屋敷伝説が伝わる江刺区藤里のお仙が淵と東和町北成島の三熊野神社、そして宮城県の金華山黄金神社なんですが、いずれも蛇の伝説に関わる場所ですよね。そしてお仙ヶ淵の名は各地にあるみたいなんですが、やはりいずれも蛇神に関わる伝説地らしく、この上鮎貝のおせんが淵と皿屋敷伝説との関係が、今気になっているところです。
Commented by dostoev at 2015-11-15 08:56
井戸は霊界と繋がっているという俗信がありますからね。また淵は淀み。淀みは水の吹き溜まりでもありますから、妖怪系の話が登場する。これらは線でつながるものでは無く、各々の水場で発生し伝えられた話だと思いますよ。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2015-11-16 21:46 x
この遠野市小友町氷口のおせんが淵と奥州市江刺区藤里のお仙が淵、そして長野県上田市武石町の巣栗溪谷にあるお仙ヶ淵はやはり一直線上につながり、その先に、紀州の熊野本宮大社が位置するのですが、群馬県甘楽郡南牧村にも線ヶ滝という滝があって、ここにもお仙という女性が、姑女に叱られたのを苦にして髪結い道具と共に入水したという伝承があり、どうも水神に対する人柱の匂いがするんですよね。小友の二口女の話はどんな話でしょうか、最近、山姥が古井戸に住み着いていて、黒髪を自慢して結わなかった女が、その井戸に櫛を落としたところ髪が伸びつつけたという話を、まんが日本ばなしで見たばかりなので、内容が気になります。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2015-11-17 00:20 x
恐らくこの「おせん」の名前は、江戸の美人の代名詞であった笠森お仙からでしょうね。皿屋敷伝説のお仙観音が祀られる江刺区藤里の圓通寺は、やはり正法寺に関係する曹洞宗寺院で、観音となっていますが、その像様は右の持物が失われていますが、おそらく宝剣を持っている金華山弁才天じゃないかと。笠森稲荷の祭神は宇賀魂之命で、蛇神である宇賀神と関係がありますから、宇賀弁才天とダキニ天は同体とみられた故の信仰かもしれません。
Commented by dostoev at 2015-11-17 22:48
「おせん」はひらがな表記で、確かにお仙、お千などの名前がありますが、恐らく本意は「お川(せん)」という水を意識した名前から作られた民話だと思います。しかし「おせん」という名前は、全国に星の数ほどある事から笠森お仙に特定するのはどうかと思います。「好色五人女」の"おせん"もいますからね。そして、熊野本宮から誰が線引きして、遠野のおせんが淵に繋げたというのでしょうか?わたしは全て繋がりは無く、各々の地域の沼や池、そして淵の淀みに対して作られた話に、「お(川)せん」という水に関する名前を当てて語られた小泉小太郎譚の亜流だと考えています。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2015-11-18 00:58 x
「せん」は「川・泉」ですからね。水に関係がある名前なのはわかるんですが、笠森お仙の由来となった笠森稲荷は瘡守の名から、瘡(天然痘)、梅毒の平癒に霊験ありとして信仰されてきたもので、特に遊女の信仰が熱かったそうなんです。元々は大阪高槻市に本社があり、長久手の合戦の折、徳川家康が腫れ物に苦しんでいたのを、倉地甚左衛門という武士が笠森稲荷に祈ったところ忽ち平癒したと伝えられており、この笠森稲荷を勧請した倉地家にお仙は嫁いでいるんですよね。
この笠森お仙が働いていた水茶屋鍵屋があった場所と伝えられる、台東区谷中の功徳林寺と宮城県の金華山を結ぶと、「臼井の弁天様」こと、茨城県つくば市臼井の飯名神社が浮かび上がり、対角にはやはり「江の島弁才天」の名で知られる、神奈川県藤沢市県江の島の江島神社があるんですよ。弁才天は水神であり、芸事の神で、使いは蛇ですすから巳待講の影響だと思うんですが、蛇は脱皮する再生のシンボルですから、笠森お仙の美貌にあやかろうとした梅毒に苦しむ遊女たちの影がちらつくんです。
Commented by dostoev at 2015-11-18 14:10
例えば戦国時代以降、苦しくなった熊野大社経営を立て直したのは、歩き巫女の存在でした。熊野本宮を繋げて考えるなら、その歩き巫女が伝播したとなれば、ある程度は理解できるのですが、笠森稲荷の伝承が爆発的に拡がって、遠野の小友まで辿り着いたとするのは、疑問が残ります。ただ臼系の名が付く地名には産金集団がいますので、さの産金集団が伝承を広めたのなら、まだ納得が出来ます。点在する伝承の"点"がいかに線で繋がっていくのかを考える必要があるでしょうね。笠森稲荷を出してしまえば、恐らく次には戎神社まで繋がると考えた方がいいでしょう。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2015-11-18 15:55 x
その遠野をつなげる鍵となるのが、滝沢市篠木の皿屋敷伝説に登場する綾織越前と、盛岡藩四代藩主南部重信なんじゃないかと推理しているんですよ。
『滝沢村史』などでは阿曾沼一族である綾織越前の動向を監視するために、南部藩は家臣の武田丹後を大釜館(現・東林寺)に駐屯させたとあるんですが、武田丹後といえば大船渡市末崎町西館の末崎城主と同名なんです。『気仙古記』などによれば、武田丹後の子、武田式部少輔は主家の葛西氏の滅亡後、南部に浪人したとありますから、南部と仙台の資料とは武田氏の出自に若干の相違が見られるんですが、おそらく同一人物か、その子なんじゃないかと思っ居るんですよ。この末崎町西館には、例の猫の石仏があり、側には北条時頼に滅ぼされた天台宗松島円福寺の流れを組む、三面椿のある熊野神社があるんですよね。
また、南部重信が五代将軍徳川綱吉の就任に関わったという伝承があるのが気になるんですよね。笠森お仙の碑はもう一つの笠森稲荷である大円寺にあるんですが、ここの笠森稲荷は大円寺に移転する以前は、綱吉の別邸であった文京区白山の小石川御殿の跡(のちに小石川御薬園)にあったとされ、綱吉の屋敷が建設される以前は、白山神社があり、そこから白山御殿とも呼ばれ、その縁で綱吉母子は白山神を熱く信仰したと伝えられているんですよ。
この小石川御殿から移された文京区白山の白山神社と、番町皿屋敷のお菊を成仏させた三日月了誉上人が住職を務めた、水戸黄門愛用の髑髏盃が納められることでも知られる茨城県那珂市瓜実の常福寺をつなげると浮かび上がるのが、神奈川県平塚市の紅谷町公園内にあるお菊塚なんです。
Commented by dostoev at 2015-11-19 06:17
ここの場合の線とは、伝播ルートの可能性だけであって、意図的に一つのラインに、そういう伝承を散りばめた可能性は無いでしょう。あくまでも遠野の「おせんが淵」は、土地に住む(住み付いた)誰かが、小泉小太郎譚を被せて語っただけでしょう。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2015-11-19 15:35 x
小友のおせんが淵と江刺区藤里のお仙が淵を結んだ先にある、もう一つのお仙ヶ淵がある、現在の上田市武石町巣栗渓谷も、その小泉小太郎伝説がある長野県小県郡に含まれるんですね。小県は武田信玄の時代に甲斐武田領となりますが、前述の滝沢市の大釜館に駐屯した武田丹後は、南部側の記録によれば、天目山で武田氏が滅んだ後に浪人となっていたのを、同じ甲斐源氏の一族である三戸南部氏を頼って陸奥に入り、南部藩の家臣となったとあるんです。
そして、この武田氏に滅ぼされるまで、小県周辺を勢力下としていたのが、信濃源氏の村上氏であり、ここから猫へと繋がっていくんです。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2015-11-19 16:30 x
小泉孝太郎じゃなかった、小泉小太郎は「こいずみ」ではなく、「おせん」とも読めますから、伝承の派生バージョンの一つと考えられますが、この話をモデルにした松谷みよ子の『竜の子太郎』では母親が人間から竜になったきっかけとして、岩魚を一人で食べてしまったことが語られますが、同じ伝承は八郎太郎や、岩手では角塚古墳の伝承にも伝えられており、こちらは沿岸の気仙から送られた魚を一人で食べたことにより、竜に変化したとあります。
角塚の伝説は松浦小夜姫型といわれる人柱譚ですから、皿屋敷や例の陸前高田市横田町の菖蒲姫の伝承につながってくるものとみているんですよ。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2015-11-21 14:05 x
以前、金ケ崎の大森城(百岡城)と気仙稲子沢長者の話に触れましたが、あそこにもお菊が森という場所があり、一説によれば前九年の役の折、百岡城には安倍貞任の娘のお鶴、お菊という姉妹が住んでいましたが、捕えられた敵方の八幡太郎義家に恋慕して、これを逃がした上に、城の秘密を洩らし落城したため、その罪で父貞任の命により磔に処されたともいうんですね。
金ケ崎町には国指定史跡鳥海柵の跡があり、前九年の役の折、鳥海弥三郎安倍家任に左目を射られた鎌倉権五郎景政が眼を洗ったという泉の跡もあるんですが、滝沢市から盛岡市にある綾織越前が築いた越前堤の近くにも厨川柵推定地があり、やはり鎌倉権五郎が鳥海弥三郎に眼を射られ傷を洗ったという、目玉清水観世音(盛岡市土淵字北野)がある。
有名な相模の住人、鎌倉権五郎景政と三浦平太為次の逸話は南北朝期に成立した重要文化財『後三年合戦絵詞』にも描かれていますが、この二人は実在性がつかめず、あくまで伝説上の人物ではないかと言われるんだそうです。鎌倉権五郎は景政神として関東の御霊神社に祀られる御霊神であり、片目が強調された武将で、小泉小太郎伝説でも自らの目玉を乳替わりに与えているんですよね。
Commented by dostoev at 2015-12-07 14:07
小泉を「おせん」と読むのは、強引すぎるでしょ。まあともかく、全てを繋げるのは無理があると思いますよ。
Commented by 鬼喜来のさっと at 2015-12-07 17:46 x
金ケ崎町永栄には、水沢正法寺とならぶ曹洞宗本山として寺勢を誇った報恩山永徳寺があり、この永徳寺は正法寺を大鼠から護った猫の姉猫が飼われていた寺(別伝あり)だそうですから、この謎はこの方面から崩しているところです。また生城寺の近くには、慈覚大師が興したという観音寺廃寺跡があり、永徳寺と生城寺を結ぶと国指定史跡・鳥海柵跡を抜けて田老町真崎の三王岩に行き着きますから、元々は天台宗によって引かれた神仏ラインとみています。でどうしてここまで話を広げるのかと言うと、国家事業としての呪術装置として造られた魔法陣じゃないかとみているからなんですよ。天武朝の頃にその祖型となるものがやっと完成したんだと思いますが、中央の政変や動乱、武士の台頭を経て複雑、巨大化し、徳川幕府によって今の形に完成したんだと推理しているんです。ところが、戦乱が終わり太平の世になるとこの秘儀が庶民階級にまで普及してしまい、これを再び再構築しようとしたのが徳川綱吉や水戸光圀、そして明治新政府の気がしているんですよね。
Commented by dostoev at 2015-12-08 17:16
徳川幕府に関してですが、天海の時代にはある程度はあったでしょう。しかし武士の理にかなった自力本願の曹洞宗を取り入れてから密教系や妙見信仰なども邪教扱いしましたからね。水戸光圀もそれに則ったのか、茨城では密教系を多く含むいくつもの神社を廃止されていましたので、光圀が絡んでいるとは到底思えません。
Commented by 鬼喜来のさっと at 2015-12-10 00:05 x
その水戸光圀と猫をつなぐ鍵が、番町皿屋敷伝説と白山信仰なんですよね。光圀の伝記には、髑髏盃をはじめとした生首に関する記述がいくつか見られるんですが、江戸城の鬼門を護る水戸徳川家には何らかの呪術的祭祀が伝わっていたんじゃないかと言う気がするんですよ。その証拠となるのが、茨城県下に残る、二つの悪路王の首なんです。
そして大老酒井忠清の意見を押し切って、館林綱吉を五代将軍に推挙したとされるのが、水戸光圀と堀田正義、そして岩手の皿屋敷伝説に関わる南部重信だと言われているんですよ。そしてこの人たちが、四谷怪談・番町皿屋敷・累が淵・佐倉宗吾・佐賀・有馬の猫騒動といった江戸の怨霊伝説に深く関わってくるんですよね。
Commented by dostoev at 2015-12-12 17:25
怪談話で盛り上がった江戸時代でしたが、これは天下泰平の世となった影響から、庶民の娯楽でもありました。ただ言えるのは、怪談話は日本の古来から伝わる祟りの文化の継承であり、人を殺すと呪われる、祟られるという精神世界です。そこには呪術と言うより、日本人の精神世界の形成に影響を与えたものとして思っています。だからこそ、現代社会でも神仏に対して極端な罰当たりな行為が出来ない日本人の精神が出来上がったのでしょう。髑髏杯の歴史は世界的に古いのですが、日本では織田信長が有名です。しかし、髑髏杯に関する俗信と白山信仰や番町皿屋敷は関係無いでしょう。様々なものを繋げずに、分けて考えた方が無難と思われます。
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