遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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河童と傀儡と瀬織津比咩(其の九)

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遠野で水天宮を祀る場所は、殆ど見かけない。もしかして、この小烏瀬川の滝だけに祀られているのかもしれない。この水天宮の総本社は、福岡県久留米市の水天宮となるが、そこに河童伝承が伝わる。石田純一郎「河童の世界」では簡単に、この水天宮の河童伝承を紹介しているが、それを更に略して紹介する事にしよう。

昔、河童は唐天竺の黄河の上流に大族をなしていたが、その中の一族が郎党を引き連れて黄河を下り、海を渡って九州一の大河である球磨川に棲み付いたと云う。九千坊という河童の族長は乱暴者で、田畑を荒らし、女子供をかどわかしたりするので、加藤清正が怒って、九州の猿を集めて河童を攻め立てた。河童にとっての猿とは、大変仲が悪く、手強い敵であった為、降参して肥後を立ち去る約束をして詫びを入れ、土地の者には害をしないと誓約したそうな。その後、筑後は久留米の有馬公の許しを得て、河童達は筑後川に棲み付く様になり、水天宮の使いになったそうな。河童は、お宮の堀にも住んでいて、神主が手を叩くと水底から浮き上がって来るのだと伝わる。
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どうやら九州の河童は、中国の黄河から来たようだ。しかし日本の秩序を乱すので懲らしめられ、権力者に服従する事になったという事であろうか。その中でも橘氏の流れを汲む、菊池氏と繋がりの深い渋江氏の眷属となっているのは事実というより、信仰の繋がりを感じる。

ところで河童は、よく相撲を取りたがる。河童に相撲で負けた人間は、尻子玉を抜かれたなどと云う話があるが、負ければ諂うのが河童だ。黄河から来たという事で面白いと思ったのは、一般的に知れ渡る中国人との接し方だ。中国人に対して弱気に接すれば、どこまでもつけ上がるが、強気に接すると大人しくなるというもの。まあこれは中国人に限った事では無いだろうが、相手を平伏せる為には、相手の上に立つしかないのだろう。それは相撲で勝つという事もあるだろうが、信仰にのっとれば、同じ水系の神には、頭があがらないものと思える。そういう意味では、渋江氏の下に付いた河童とは、渋江氏の奉斎する神の下に付いたと考えてもおかしくはないだろう。
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久留米の水天宮の由来は、壇ノ浦で平家の最後を見届けた後に、筑後川に辿り着いた尼御前と呼ばれる按察使局伊勢から始まる。寿永4年の夏という事である。筑後川の畔に住み付き、小さな祠を祀るようになったが、尼御前の人徳に触れ地域の人々も又、尼御前の祀る祠を拝むようになったという。その祠に祀られていたのは、幼く死んだ安徳天皇と、その母である建礼門院に、祖母の二位の尼の三柱の御霊であったというが、それとは別に天御中主命を祀ったとされる。実際に現在の水天宮の祭神は、この四柱の御霊となっているようだ。しかし「明治神社誌料(下)」によれば、当初は水天龍王を祀っていたものを、後に天御中主命に改めたようだ。また、この尼御前である按察使局伊勢は、大和國布留の神社の神官某の女であるとしている。按察使局伊勢は、安徳天皇の内侍でもあるのだが、内侍とは天皇の身辺に奉仕する者であり、ここでは厳島神社の女性神職で、神事のほかに、同神社に参籠する貴人の旅情を慰めるために今様を朗詠したり舞楽などを行った存在でもあるのだろう。同じ福岡県の榊姫神社に祀られる御霊の中に榊内侍と呼ばれた、やはり平家の内侍が祀られている。恐らく按察使局伊勢は、平家の信仰にも詳しいのであると思われる。

壇ノ浦の合戦で最後、水の都に向った安徳天皇だったが、按察使局伊勢はその水の繋がりから、安徳天皇の霊を慰めようとする為の筑後川の畔に祀った祠であったろうか。しかし按察使局伊勢が物部の女であるとわかり頭を過ったのは、死人さえ生き返るほどの呪力を発揮すと云う「布瑠の言」である。

「ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ」

もしかしてだが、水天宮とは当初、安徳天皇の復活を期してのものではなかったか?何故なら、布留を調べると月神へ辿り着く。月には、不老不死にも繋がる変若水があるからだ。「佐陀大社縁起」には、こう記されている。「月神とは大和國に在りては春日大明神と号し、尾張國に在りては熱田大明神と号す。安芸國に在りては厳島大明神と号す。」
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月神に向かう前に、まず布留の神社について書かねばならない。布留の神社とは、つまり物部氏が奉斎する石上神宮の事。この石神神宮に祀られる神とは、布都御魂大神と布留御魂大神となる。布都御魂は武甕雷男神と共に国譲りの神話に登場する、剣の化身のような武神でもある。それと共に祀られる布留御魂とは、石上神宮の神域を流れる布留川に関係する。「円空と瀬織津姫(下)」によれば、布留川の源流には布留滝があり、それを「桃尾の滝」または「布留の滝」と呼ばれている。「布留神宮縁起」によれば、その布留の滝は「布留御前」として、石上神宮の元社である布留神宮に祀られているのだと。そしてこの布留川の川上は「日の谷」と呼ばれ、"八岐大蛇伝説の異伝"が伝わっていた。

むかし、出雲国の肥の川に棲んでいた八岐大蛇は一つ身に八つの頭と尾をもっていた。素戔男尊命がこれを八つに切り落とした。大蛇は八つの身に八つの頭がとりつき、八つの小蛇となって天に昇り、水雷神と化した。そして天叢雲剣に従って大和国の布留川の川上にある日の谷に臨幸し、八大竜王となった。今そこを八ツ岩と云う。天武天皇の時、布留に物部邑智という神主があった。ある夜夢を見た。八つの竜が八つの頭を出して、一つの神剣を守って出雲の国から八重雲に乗って光を放ちつつ布留山の奥へ飛んできて山の中に落ちた。邑智は夢に教えられた場所に来ると、一つの岩を中心にして神剣が刺してあり、八つの岩は、はじけていた。

物部氏の祀る経津御魂は神剣の神だが、この伝説に登場する神剣は布留御魂の事を意味しているのだと思われる。となれば、物部氏の祀る剣は、二振りという事になるか。三種の神器の一つとなる、天叢雲剣を祀る熱田神宮の別宮である、やはり熱田大神を祀る八剣宮縁起にも、祀る剣は布都であり、布留でもあり石上布留の神社とも祝ひ奉るとされるのは、熱田神宮と布留神宮の剣は同じという事。これらから、久留米の水天宮に尼御前が祀った水天龍王の正体が見えて来た。
# by dostoev | 2016-12-11 17:25 | 河童と瀬織津比咩 | Comments(0)

わが爪に魔が入りて

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わが爪に魔が入りてふりそそぎたる月光むらさきにかゞやき出でぬ

きら星のまたゝきに降る霜のかけら墓の石石は月光に照り

本堂の高座に説ける大等のひとみに映る黄なる薄明

                        宮沢賢治

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
宮沢賢治が14歳の頃、旧制中学の先輩だった石川啄木「一握の砂」に触れ、文学に目覚めて歌を詠み始めた頃の歌だという。宮沢賢治は学生時代、寺に下宿して文学書や宗教書を読み漁り、夜には寺の本堂の縁側で月を観ながら物想いに耽っていたというが、学生時代は特に幻想的な面に魅かれる為、こういう歌を詠んだのかと思った。

ところで気になったのは「爪に魔が入りて」という表現だが、爪には"爪半月"という箇所がある。その爪半月が無いと不健康などという迷信の他に、その部分が黒ずむと、いつか死ぬという迷信を子供の頃に聞いた事がある。実際に子供の頃、爪に棘を刺した事があり、その部分が黒ずみ紫がかった見えた。もしかしてだが、"月の紫に輝く""爪(爪半月)の魔"をかけてに結び付け、神秘的な表現にして遊んでいたのじゃなかろうか?表現的には、上田秋成「青頭巾」の最後の場面を彷彿させる。
# by dostoev | 2016-12-03 15:54 | 民俗学雑記 | Comments(2)

遠野物語の発生

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最近、空き家・廃屋調査が行われていた遠野市であったが、少し山に入ったところにも、画像の様な廃屋を見かける事がある。画像の建物内部に入ってみると、アナグマが巣食っていた。今はどうかわからぬが、遠野小学校へ行く途中の歯科医院の空き家にも、アナグマは巣食っていた。こうして人の住まなくなった家には、野生の獣が住みつく場合が多いのだが、特にそれはアナグマの場合が多い気がする。知人の家の小屋にも、知らない間にアナグマが巣食っていたと聞く。
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山中で遭遇するアナグマは、画像のように寄って撮影しても、慌てて逃げようとはしない。ある時は、平気で自分の脇をすり抜けて行った時もあるほど、遠野ではアナグマほど人間を恐れない獣はいないのではなかろうか。気性もイタチ系らしく激しく、熊と遭遇しても熊を追い払う程の気性の持ち主がアナグマである。人間が寄って来た程度では、気にもかけないのかもしれない。
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上郷町の曹源寺は、「遠野物語拾遺187」の舞台でもある。ここでは化物貉として登場しているが、そもそも貉は狸似ているが、狸では無い獣として認識されていた。「ムジナかタヌキか、タヌキかムジナ」と、動物の体系が定められていない時代のアナグマは、タヌキと同一のものか、その変化した存在という見方もあった。曹源寺には今でも貉堂があり、貉大権現として、アナグマは神に昇格していた。
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先に書いた様に、何故か空き家・廃屋にアナグマが棲みつく場合がある。恐らくそれは廃寺となった寺院でも同じなのだろう。遠野の寺院の歴史を見ても、一旦は廃れてしまった後に、ある和尚によって再興されたという寺は意外に多い。その廃れた時期に、こうしてアナグマが貉として棲み付き、遠野物語に登場するような、不気味な話として作られ語られる場合が多かったものと思える。人を恐れぬ貉(アナグマ)は、格好の不気味な妖怪モデルとなったのだろう。「遠野物語」には掲載されていない話の中にも、貉の登場する話は多くある。また、東禅寺の和尚であった無尽和尚の母親は貉であったとの伝説も伝わる事から、古くから廃寺などに棲み付いたアナグマの姿が目撃され、こうした話が創作されたのだと思う。
# by dostoev | 2016-12-02 16:28 | 民俗学雑記 | Comments(2)

瀬織津比咩の登場する漫画

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たまたまAmazonで見つけた、中古の少女漫画を購入し読んでいたら、遠野が舞台になった。あれ?と思ったら、瀬織津比咩が登場してきたよ。場面、場面で見た事のある場所が登場し、地元民としては目が離せなくなってしまった。目が離せないというのは、どう描かれているのか?間違いは無いか?などという、期待とあら探しの混雑したものだった。まあ、この漫画は主体が別のところに置かれているので、遠野も瀬織津比咩も味付け程度に描かれているだけ。
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早池峯、猿ヶ石川と、遠野の山や川が登場すると、やはりどこか嬉しい。
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お約束通り、座敷ワラシみたいな人物が登場し、遠野を説明する。
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小友の岩龍神社も登場し、ここにも瀬織津比咩がいた可能性を示唆しているところがあるが、なんか自分のブログを読んだのか?と思ってしまった。
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少女だと思っていたら、少年だった。
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そして、滝の精の様な女性も登場。実はまだまだ連載中で、この遠野編の結末はどうなるのか?アラハバギも結び付けてストーリーは展開するようなので、個人的には目が離せなくなる。取り敢えず、続きを期待して待ってよう。
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# by dostoev | 2016-11-27 07:24 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(0)

撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大神の荒魂)

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折口信夫は天照大神について、下記のように述べている。

貴(ムチ)は女神の接尾語であり、"ひるめ"は日之妻(ヒヌメ)で、日神の妃と
いふことになる。神聖なる神女の地位を言ふものである。太陽神を女性とす
る神話も、他民族には例があるから、不思議はないが、日本の場合は日の
神とヒルメとには、対偶神としての存在を示す信仰があった。


対偶神という言葉が適切かどうかは別にして、折口信夫の見解を当て嵌めれば、大日孁貴神とは日神の妻と云う立場になろうか。そして、それを裏付けるかのような資料が、鎌倉時代に成立した「御鎮座次第記」であり、それには下記の様な事が記されている。

「伊弉諾が左目を洗って天照大神の荒魂の荒祭神大日孁貴神を生み」

これをそのまま信じて良いかどうかは別として、この「御鎮座次第記」によれば、荒祭宮に祀られる神とは大日孁貴神であり、天照大神の荒魂とされる。また別に内宮所伝本「倭姫命世紀(天照皇太神荒魂)」の項にも、下記のように記されている。

「左目を洗ひて日天子大日孁貴を生みます。

        天下り化生ますみ名は、天照皇太神の荒魂荒祭神と曰す也。」



大日孁貴神とは即ち、天照大神の荒魂と伝えられている。その荒魂を祀る荒祭宮では現在、瀬織津比咩という神名が祀られている事実がある。大日孁貴神が荒魂であるなら、荒魂と呼ばれた撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とは?

原初的な信仰は、彦神と姫神の二柱を祀るのが基本であったようである。ヒルメが日の神妻なら、ヒルコが日の神という事になるのは、陰陽の関係でも明らかである。例えば、天照大神と素戔男尊の誓約の場面で、男神五男神と三女神が誕生しているのは、陰陽の和合とされている。陰陽は、日(火)と水で表され、陰陽五行における火の方位は南であり夏を意味し、色は赤となる。その対極となる水の方位は北であり、冬を意味して、その色は黒色となる。604年に制定された冠位十二階の最高位の色は紫で、この場合は赤色と黒色を混ぜたものとしたのは、陰陽の和合を意図したものである。

北沢方邦「天と海からの使信」で、宗形三女神が誕生した剣は、神武天皇が手にした布都御魂剣と異なり、雌の剣である事に注意すべきだと述べている。剣は所有者の荒御魂とされるが、天照大神と素戔男尊の誓約の場面では、素戔男尊の剣を手にして噛み砕いて誕生したのが宗像三女神であるが、この場合の所有者は素戔男尊であったのか天照大神であったのか。しかし、男神五柱誕生させた素戔男尊が勝利したとの見方から、明らかに天照大神の手にした剣は、天照大神の荒魂を宿したものであると考えられる。天照大神が素戔嗚尊の十握劒を貰い受け、打ち折って三つに分断し、天眞名井の水で濯ぎ噛みに噛んで吹き出し、その息吹の狭霧から生まれた神が宗像三女神であると。それはつまり、天照大神の荒魂から誕生した三女神と考えられる。それを裏付けるかのように「宗像大菩薩御縁起」において、西海道風土記を引用した後の付記に、三種の神器である八咫鏡を祀る辺津宮に祀られる神は「三韓征伐之霊神也。」と記されている。神功皇后の三韓征伐に、宗像三女神が勧請された話は知らないが、天照大神の荒魂である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命であるなら、天照大神の荒魂である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命が三分割され「三韓征伐之霊神」として宗像三女神に受け継がれているのならば、納得するもの。宗像の辺津宮に伊勢神宮に関係の深い八咫鏡が祀られていたと云う事から、宗像の神は天照大神の荒魂である可能性は高いのだろうと思う。
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「梁塵秘抄」に、下記の歌が詠われている。

関より東の軍神、鹿島香取諏訪の宮、又比良の明神、

        安房の洲、瀧の口や小(野・鷹)、熱田に八剣、伊勢には多度の宮


伊勢の多度の宮が軍神と呼ばれた所以は、平氏にあった。伊勢守であった平氏一派は勢力を拡大して、伊勢平氏と呼ばれる様になり、その極みは平清盛であった。だが厳島神社を信仰した伊勢平氏の以前の信仰の拠点は、伊勢に鎮座する多度神社と多度神宮寺であったが、本来はその背後に聳える多度山であり、それは伊勢平氏の祖霊の静まる霊山と考えられていた。その多度山に斎く神は、多度大神とも呼ばれるのだが、かって祟り神として猛威を振るったとされている。現在の多度大社に祀られる祭神は天津日子根命で、天照大神と素戔男尊との誓約によって生まれた男神五柱のうちの一柱であるのだが、荒ぶる神とのイメージは皆無だ。

ところがこの多度の地は、元伊勢と呼ばれていた。それは崇神天皇時代に、天皇を祟った神として天照大神を出し、滝宮に斎く間に約40年間彷徨い、一時的に斎いだ地の一つが、この多度の地であった。崇神天皇を祟ったという本来の神は、天照大神の荒魂であった。近江雅和「記紀解体」によれば、崇神天皇から離れ遷座の地を求め流離ったとされる旅のメンバーを見る限り、それは武力平定の移動であったろうと述べている。ここで思い出して欲しいのは、神功皇后の武力平定の先鋒でも、荒魂が務めたと云う事。鎮座後に留まるのは和魂であり、行動するのは荒魂であるという事から、滝宮に至る40年間に、各地を荒魂を先鋒として平定し続けた旅であったのだろう。それ故に、多度の地にも訪れた天照大神の荒魂であったからこそ、軍神として梁塵秘抄にも歌われた。しかし祀られているのは天津日子根命であるのだが、恐らく流離の旅の途中、平定した地に神社を建立し、天照大神と素戔男尊の誓約によって誕生した神々を祀っていったのではなかろうか。

田村圓澄「伊勢神宮の成立」に、面白いデータが載っていた。「日本書紀」において「天照大神」という神名が記されるのは、神代記から神功皇后記までで、その後は何故か天武天皇時代にならないと「天照大神」という神名は出て来ないという。では、その神功皇后から天武天皇時代の間の時代に「天照大神」の代わりに記される神名は何かというと、「日神」と「伊勢大神」であるそうだ。「日神」も「伊勢大神」も「天照大神」だろうと思うのが一般的であろうが、違和感もある。何故なら、天照大神は別に「大日女」「大日女尊」「大日孁貴神」などと呼ばれる。全て神名に「女」の漢字が使用され女神だとわかるが、「日神」という表記であれば男神であってもおかしくはないからだ。また日神と伊勢大神の使い分けも、何故にここまで統一性が無いのか気になる。あたかも、日神と伊勢大神はまた別の神という可能性はあると思える。

実は、福岡県に榊姫神社がある。その神社の由来によれば、平資盛の女で、榊内侍と呼ばれた榊姫を祀るのだが、「遠賀郡誌(下巻)」によれば、旅の途中病で倒れた時に、付き添った平家の老女に榊姫は、こう言われた。

「我邦は神の御国、特に伊勢の太神の御名は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と申し奉りて、姫の御名に縁あれば、一心に此御神を祀り玉はむには、などか此難病をも、平癒せさせ給はぬ事やはある。疾く祈願し給へと説き勧めければ、姫も宣なりとて、賢木を根抜きとりて之に木綿して掛けて、朝夕老女と共に拝祈し給ひけり。」

これによれば、"伊勢大神の神名"とは、"撞賢木厳之御魂天疎向津媛命"であるという事。田村圓澄の調べたデータに照らし合わせても、日神と伊勢大神とは別の神という事になる。日神を天照大神に比定すれば、伊勢という冠名が付く伊勢大神であろう撞賢木厳之御魂天疎向津媛命が本来の土着神であったという事か。仁安3年(1168年)頃、平清盛が厳島神社の社殿を造営し、大規模な社殿が整えられた。その後にも平家一門の参詣があり、厳島神社は平家の氏神となった。しかし多度大神を信仰していた伊勢平氏が新たな神を信仰したわけではなく、本来の天照大神荒魂である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命の信仰を厳島に迎えたといのが正しいのではないか。厳島明神は、古くは龍女の化身と考えられていたが、それを宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命とする事で、周囲の目を誤魔化したのでは無いか。厳島は神を「斎(イツキ)祀る島」と認識されていたのだが、それならば何故「斎」ではなく「厳」という漢字を使用したのか。それは恐らく、撞賢木"厳"之御魂天疎向津媛命の「厳」を含ませる事によって、本来信仰する天照大神荒魂を祀っているという意志表示ではなかったか。

三浦茂久「月信仰と再生思想」によれば、多くの事例から「天さかる向かふ」という表現は、天を離り極みに向うという形容で、天空を移ろう月や、月に棲むタニクグが天際に渡り行く事に対する常套句であるという。それはつまり「月が空を西に去って行く」事だと述べている。そして撞賢木は、神籬であろうとしている。今でこそ榊は、神の斎く樹木とし認識されているが、東北に於いての榊の自生は無い為に、イチイの木が代用されていた。厳島神社の神楽の古くの記録は1177年で、平家滅亡後の記録でしかないようだ。しかし為政者が変わったとして、神楽そのものの内容が変わるわけでは無く、神楽の儀は、まず榊に神を降ろす神楽から始まる。榊を神籬とする、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を思わせる神楽であると思われる。
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撞賢木厳之御魂天疎向津媛命という神名が月に関わるものだと理解出来ればもう一つ、神功皇后の存在が気になる。神功皇后の別名が、息長帯比売命(オキナガタラシヒメ)とも気長足姫尊(オキナガタラシヒメ)とも、もしくは大帯比売命(オオタラシヒメ)とも記される。この別名に含まれる"タラシ"とは、月の満ちる様の表現であるようだ。そして神功皇后は、塩盈珠・塩乾珠という、潮の満ち引きを自在に扱える霊玉を駆使するという、まさに月の引力を扱う月の巫女の様な存在に思える。その神功皇后が仲哀天皇を祟る神を占い、真っ先に神名を呼ばれたのが、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命であった。陰陽として、日神の対になるのは、水を彷彿させる月の神であらねばならぬ。「古事記」を読んでも、本来の祭りごとは夜に行われた。神々の時間帯は、太陽が沈んでからであったのを考えても、本来の主役は日神では無く、月神であった筈だ。太陽暦が導入されたのが持統天皇時代であった事から、それ以前は太陰暦であったよう。

この前「竹取物語」に関係する本を読んでいたら、かぐや姫の罪は処女懐胎であると書かれていた。これは、太陽の光を浴びて妊娠するという話で、キリスト教圏の逸話も導入し展開していた。どうやら、かぐや姫を太陽信仰と結び付ける為に書かれた本であった。しかし、民俗学的には日本において月を見て孕む兎の話の他に、月を見ると孕むという禁忌はよくある。太陽では無く、月の満ち欠けが妊娠をイメージさせる為だ。神々についても、「熊野権現垂迹縁起」によれば、熊野三所権現は、本宮の大湯原のイチイの木の梢に、三枚の月の形になった天降ったと語られ、宇佐八幡においても、満月の輪のごとく示現したと語られている。神の降臨は、夜に輝く月にこそあったという事。撞賢木厳之御霊天疎向津媛命こそが本来、古くから日本で信仰されていた神では無かったか。それが太陽信仰の普及と共に消されてしまったのかもしれない。まだまだ書きたい事があるが、今回は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命に関係する事を簡単にまとめてみた。
# by dostoev | 2016-11-26 00:45 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(0)

新釈・六角牛の語源(六角氏と六角牛)

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たまたま佐賀県を調べていたら、六角川というのがあった。その六角川に牛津川が合流して、有明海に注ぐという。六角と牛を重ねれば、"六角牛"になる?と妙に気になり、その水源を調べてみると神六山が水源であった。なんかそのまま"六角牛"という名前が出来そうな組み合わせと思った。そこで佐賀県のその地域を調べてみると、やはりというか佐々木系六角氏が移り住んでおり、その六角氏の名前が河川名になったようだ。

遠野市には、菊池氏についで佐々木氏が多い。阿蘇地域の菊池郡を調べると、琵琶湖周辺の神社と同じ名前の神社がいくつかあったら、やはり佐々木氏が菊池郡に移り住み、菊池氏の家来として共存していた。菊池という姓は、西高東低で、西日本には"菊池氏"が多く、東日本には"菊地氏"が多い。しかし局地的に菊池氏が多いのは、遠野市でもある。更に、全国ベスト10に入るほどの佐々木という苗字も、何故か半分以上は秋田県と岩手県に分布している理由が未だにわかっていないようだ。しかし、菊池氏がいるところに佐々木氏も多いとなれば、菊池氏と佐々木氏との関係に、何かしらの縁があってのものじゃないだろうか。

遠野で一番古い神社は早池峯神社であるが、その次の神社は六神石(六角牛)神社となる。早池峯という名前には、いろいろな説があるが、早池峯の水神は菊池氏が奉斎する神と同一であるのはわかった。奥州市の菊池神社には、そのまま水神姫大神が分霊されている事からもあきらかだろう。そして早池峯に次ぐ六角牛がもしも佐々木氏系六角氏の名前を重ねているのならば、菊池氏に次いで六角氏がその山名の由来になった可能性もあるのではなかろうか。

今までいろいろ考えてみたが、また六神石神社の元宮司である千葉氏もあれこれ考えたようだが、六角氏(ろっかくし)が、そのまま転訛して六角牛(ろっこうし)と呼ばれる様になったというのが、一番すっきりする。
# by dostoev | 2016-11-19 20:23 | 六角牛考 | Comments(0)

希望者多し、早池峯神社

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やはりというか、早池峯神社まで行く事のできるバスが無くなってしまい、どうやって早池峯神社まで行こうかと思案にくれている人達が、たまに自分の営む民宿に泊まりに来てくれる。早池峯神社へは最近、座敷ワラシ関連で行きたい人達が増えている。平成当初ではそうでもなかった早池峯神社の座敷ワラシ祈願祭が、かなり広まったと云う事だろう。
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座敷ワラシが覗いていたと云われる、樹齢千年を超える杉の大木。
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一気に始まった落葉掃除に精を出す、お爺さんがいた。確か早池峯神社の宮司さんの父親であったかと認識している。
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10月末には、緑色の葉っぱのまま落葉していた銀杏が、黄色く染まっていた。
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そして早池峯神社の次に訪れるのは、最近になって座敷ワラシの話が盛り上がっている隣接する"ふるさと学校"だ。座敷ワラシの出ると云われる部屋の前の廊下には、それらの出来事を紹介する新聞が貼られている。訪れる人達によって盛り上がる座敷ワラシ騒動。こうして人のエネルギーは、蓄積されていくのだろうか。
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# by dostoev | 2016-11-06 07:54 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)

盗まれる家紋と名前

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「徳川家当主が、徳川家家紋の商標登録に異議」 ←このような事件が起きた。この徳川家の家紋を登録したのは、水戸市のイベント会社。「お守り・お札」「日本酒」などに使用するとして、水戸徳川家の「葵(あおい)紋」に似たマークを商標として出願し、昨年12月に登録されたという。実は微妙に違うらしいが、パッと見た眼で、その違いが分かる人がどれだけいるだろう?家紋は武家社会で特に広まったが、家紋は単なる記号では無く、その一族の象徴であり、意識そのものでもある。よく「一族の名を汚さぬように」とか「家紋を傷つけないように」という言葉を、ドラマや映画で聞いた事があるが、実際にこの言葉を子孫に対して伝える家系も日本の社会には存在する。今回、家紋を商標登録された徳川家もそうだろう。つまり今回のこの事件は、徳川家にとって知らぬ間に魂を盗まれた事に等しいのだと思う。

また、少し前に、岩手県の久慈市を舞台にした「あまちゃん」というドラマの主演をした能年玲奈という女の子が、独立のドタバタの末、本名である"能年玲奈"という名前を使えなくなったそうである。子供が生まれて、その子供の名前を親が名付ければ、命名権は親にあるという事になる。しかし、能年玲奈の失敗は、親に命名権の有る筈の本名を、直接芸名として使用した事になる。芸名になるという事は、その名前が商品となるという事。所属したプロダクションに、本名を抑えられたからだ。例えば、紫式部も清少納言も本名では無いように、昔は本名を名乗る事は無かった。本名を明かす場合は、その明かす相手が、生涯の伴侶となる時だった。何故ならば、本名を明かせば呪いをかけられてしまう可能性があるからだ。さすがに、この現代となって呪いなどある筈も無いとは思うが、まさに能年玲奈は、本名を明かした為に、本名を盗まれるという呪いにかかってしまったという事だろう。以前にも書いた、瀬織津姫の商標登録の件も、神名を奪ったと云う行為は魂を奪うものであるから、神そのものを呪う行為に他ならないだろう。

ただ今回の一番の問題は、特許庁にあるだろう。なんでも政治家の名前は保護されているから、商標登録の対照にはならないと聞いた。しかしその代わり、それ以外の名前や家紋までもが商標登録の対照にしてしまうのは、いかがなものか。審査はあるみたいだが、今回の徳川家の家紋のように、日本全国に認知されている家紋そのものを、個人の商標登録に認可してしまうとは、特許庁の職員そのものの精神が、日本人の心と、かけ離れているのではないか?神名の商標登録も含め、今回の徳川の家紋も商標登録されたという前例を作れば、今後どういう者達が、何を商標登録するか心配になってしまう。何故ならば、日本国民以外に、日本に住んでいる住民と呼ばれる者には、外国人も含まれるからだ。日本人に親しまれたものでも"金の成る木になる"と判断すれば、どんなものでも商標登録する外国人が出て来てもおかしくはないだろう。

現実として、中国ではあからさまに、全世界のキャラクターを盗んで、国内で商品化している。韓国では、日本古来の文化や、商品やキャラクターまで堂々と盗んで起源を主張している。有名なのは、青森県のねぶた祭りに韓国人を参加させ続けたら、いつの間にか韓国内で似た様な祭が始まり、いつの間にか青森県のねぶた祭りは、韓国が起源であり、それを日本人が盗んだという事になりつつあるようだ。だから今回の徳川家の家紋の商標登録や、瀬織津姫の商標登録も含めて、これらを黙認していると、いつの間にか様々なものが知らない間に商標登録され、勝手に使用できなくなる可能性もあるだろう。実際に、瀬織津姫の名前が入った神社などの御札も、商標登録違反であるようなので、各家々の家紋も商標登録されれば、紋付き袴そのものが使用できなくなるという事になる。まずは法律を正すべきで、現在の特許庁をどうにかしないと大変な事になるだろう。
# by dostoev | 2016-11-05 21:32 | 民俗学雑記 | Comments(0)

河童と傀儡と瀬織津比咩(其の八)

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水天宮の本社を紹介する前に、遠野の土淵を紹介しようと思う。何故に土渕かというと、現在遠野に住んでいる方々は実感できるかどうかわからないが、朝廷の都が藤原京だの平城京、そして平安京と遷都し続けた歴史があるように、遠野もまた遷都されてきた歴史がある。現在の遠野の街は、17世紀末以前までは、誰も住んでいなかった。現在の遠野は城下町であり宿場町であったと知られるのは、鍋倉山に横田城があったからだ。だがそれ以前は、高清水山の麓、光興寺に横田城があったのが、鍋倉山に遷都されたからだった。その間に為政者も、阿曽沼から南部氏に移り変わっている。阿曽沼氏は、奥州藤原氏が源頼朝により滅ぼされた後、その恩賞として遠野郷を授かったからだった。ただし細かな支配領地は、未だ定かでは無いが、光興寺に横田城を築いた事から、遠野の中心地は光興寺を含む松崎町であったのが事実である。そして、更なる以前はというと、それは恐らく土淵を拠点として北に続く松崎、附馬牛のラインであったろう。それは、早池峯への道筋でもあった。

「土渕教育百年の流れ」によれば「土渕の地名は、大字土渕小字土渕を通称土渕といって、土淵はここから出たという。ここには淵があって、常にその水が濁っており、その渕の底を見る事が出来なかったそうだが、アイヌ語で「河の穴」という意である。」と記されている。これを裏付ける様に「まつざき歴史がたり」には、猿ヶ石川に関する昔話が紹介されている。その話は、早池峯の麓にある又一の滝から始まる。

猿ヶ石川の始まりは、猿石からだとも云われるが、その猿石は又一の滝がある沢から発生しているのか、もっと西寄りの沢からだという説があるようだが、物語は又一の滝から発生している。その猿石が砕けて八つの石に別れ、その一つ一つが様々な淵に収まる様子が語られている物語である。一つ目の石は、地蔵岩が(次郎岩とも)あるという地蔵沢から始まっている。その地蔵沢は、遠野三山の三女神が最後の晩を過ごしたとも云われる沢だと伝えられる。土淵へ入ったのは五つ目の沢で、こう記されている。

「五つ目の石は、流れて来て広い場所を見付けて、俺はここに入りたいと言ったと。すると恩徳の不動様が何故だと訊いたら、俺はここの広い村にいて、この村を繁栄させたいと言ったので、お不動様がよしよしと言って許した。それまで、お不動様がこの村を見守っていた…。」

恐らくこの話は、修験の歩いた道筋を物語として語ったのではなかろうか。聖武天皇時代に、奥州で金が発見され、今まで輸入に頼っていた金を探しに、多くの修験者が奥州へ来たと云う。登山という文かが日本に入ったのは明治になってからだった。それ以前は、山とは遠くから眺め拝むものであった。ほぼ未踏の地であった山を修験者が登るには、砂金探しも含め沢を溯上するのが理にかなっていたようである。
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画像は、小烏瀬の滝と呼ばれるものだが、この水源は荒川高原に聳える一ッ石山の麓を源流とする沢の名前を"不動沢"という。不動という名称には、不動の滝や不動岩などがあるが、大抵は修験者が山を開拓した道筋に名付けられる場合が殆どである。つまり、この小烏瀬の滝から上流へ、修験者が歩き進んだ道であり、この小烏瀬川の滝が始点でもあり終点てせもあるのだろう。だからこそ、不動明王を祀る社が建てられている。
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そして、その不動堂の背後に、小さな社が三つ並んでいる。一つは、稲荷社。一つは、薬師大神を祀る社。そしてもう一つが、水天宮である。気付かれる方もいるとは思うが、不動明王と薬師如来が並ぶ姿とは、早池峯山と薬師岳を思い浮かべるだろう。ここでの注意点は、薬師如来ではなく、薬師大神となっている事だ。神仏混合となり、本地垂迹という概念が発達し、神は仏の同体とされたが、実際は仏の下の階級に零落した。しかし、ここでの薬師大神という名前は、まさに神と仏が同体であるかのよう。早池峯の麓、荒川から流れ落ちる不動沢とは、そのまま早池峯山麓の息吹を伝えるかのよう。恐らく、それを意図して、この小烏瀬の滝に祀ったのだろうと思う。そしてこの不動堂に古い時代、女人が住みついたとも伝えられる。それはもしかして、大迫の傀儡坂と同じ様に傀儡女であったのだろうか。傀儡女は水辺に住むと云い、その傀儡女に夢中になった男の話もある事から、身体をも売っていた傀儡女の可能性は高いであろうか。
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# by dostoev | 2016-11-04 20:01 | 河童と瀬織津比咩 | Comments(4)

河童と傀儡と瀬織津比咩(其の七)

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川の童で、河童。座敷の童で、座敷ワラシ。この物の怪の様な"童達"は、微妙にイメージを変えてあらゆるところに出没する。例えば「遠野物語拾遺63」では、華厳院に火事が起こった時、二人の童子が火消ししていたのは、二寸ばかりの小さな大日如来と不動明王像であったのかもしれないとされている。それかもしかして、不動明王の眷属である、矜羯羅童子と制多迦童子であったか、とも。

「聖徳太子伝記」に、ある晩の事、歌の上手い土師連八島の元にある童子が来て歌を競い合ったが、その声が普通の人の声とは違うので不思議に思ったが、その童子は空が開ける頃に、海に入って行った話を聞いて、聖徳太子はこう答えた。

「是は螢惑星と申す星なり。人間に軍兵・飢渇・不熟等の災難あらんと欲するの時は、彼星童子に形を現し、人間の者に相交りて、未来善悪の事を歌に作りて披露す。天に口無し、人の囀を以て事とす。」

この時代、神は童子の姿で世に化現し、童子に交じって遊ぶ中で、その意志を伝えるとされていたようだ。例えば座敷ワラシはよく、子供達の中に交じって遊ぶとされるのは、子供故と思われていたが、柳田國男曰く「神が零落し妖怪となった。」という説に則れば、まさしく子供達の中にこそ、神は交じって遊ぶのであり、それは地蔵や仏像が子供達と遊ぶのが好きという話に近似する。つまり、子供達に交じって遊ぶ神仏は、人間に対して意志を伝える前ふりでもあるという事。それを止めさせる事は、罪でもあるからこそ、それを止めさせた大人が祟りを受けたのだろう。例えで言えば、天皇様の詔を無視した罪という事になるのだろうか。

とにかく遠野には、川には川の童がいる。そしてそれが家に入れば、家の童となるとされ、もしかしてそれは本来、神であったものとして伝わったものが、物の怪に零落したのだろうか。しかし座敷ワラシは物の怪でありながら、神としての存在を示している。そして河童もまた、悪戯のお詫びとして薬などの秘伝を人間に授ける神に近い存在になっている。

また遠野には、人形に魂が吹き込まれ神になったオシラサマというものがある。ただオシラサマは、初めから神として作られた人形であるから、人形から物の怪に変化した河童とは違う立場にあるが、人形が神に昇格できる要素を示す事は出来るのだろう。「河童と傀儡と瀬織津比咩(其の六)」に書き記したように、人形を大黒柱など家屋のいづれかに組み込む事で、家屋を支える神にもなれるのである。つまり当初は人形であった河童が家屋に入って、家の支えとなる事によって、神、もしくは神の眷属となれる。それは結局、座敷ワラシになったという事になるのだろうか。
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若宮神社の例を確認すると、あくまでも河童は女神の眷属として存在し、その女神を祀る社の梁を護る存在にもなっている。若宮神社と同じ福岡県に瀬成神社という、やはり瀬織津比咩を祀り、河童を眷属とする神社がある。水神系に属する河童は、やはり水神の女神に仕えるのが通常なのだろう。「遠野物語拾遺33」は、まるで「肥前国風土記」に記される與止日女に関する話に近い。「肥前国風土記」の記述には「此の川上に石神あり、名を世田姫といふ。海の神鰐魚を謂ふ年常に、流れに逆ひて潜り上り、此の神の所に到るに、海の底の小魚多に相従ふ。」とある。とにかく水性の生物は、水神の女神に従うようである。

ところでこの肥前国一宮である川上神社(與止日女神社)に祀られる與止日女は、肥後国の日下部吉見氏が奉祭する母神"蒲池比咩"と習合していた。そして筑前糸島の桜井神社(與止日女宮)」で川上の與止日女は、瀬織津比咩と同神とされている。ここで早池峯の女神である瀬織津比咩が、九州における水神の大元である可能性が出て来た。そして福岡の河童の総本山というべき神社に、久留米の水天宮がある。そこには前回紹介した、渋江氏が関係しているのだが、その水天宮を紹介してみようと思う。
# by dostoev | 2016-11-03 16:18 | 河童と瀬織津比咩 | Comments(0)