遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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沼御前トイウモノ(其の一)

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「遠野市おける館・城・屋敷跡調査報告書」の著者は、沼御前は館と結び付いて、全部で七か所あると記している。それは、下記の通りになる。

真立館(松崎町松崎 御前沼 荷渡観音 御前様)

小田沢館(青笹町中妻 荷渡観音 御前沼 御前様)

月山神社(上郷町字南田 御前沼 御前様 千手観音)

佐野館(上郷町佐野 御前沼 御前様 薬師観音)

御前(綾織町新田 御前沼 御前様)

天ヶ森館(附馬牛町安居台天ヶ森下 御前沼跡 御水神宮)

荒矢館(附馬牛町荒屋 御前様)


ただ著者は調査すれば、まだある可能性を示唆していた。そこで調べると二つの館跡と三つの沼御前があった。それが下記の通りとなる。

平倉の沼御前

鳥海館(トンノミ沼御前)

火鼻館(沼袋の沼御前)


平倉の沼御前は「上郷聞書」に紹介されていた。またトンノミが沼御前であるのは、「遠野市おける館・城・屋敷跡調査報告書」でトンノミのある地域でトンノミを沼御前と呼んでいたと記されている。また沼袋の沼御前は、直接行って見て沼御前が祀られているのがわかった。そういう事から、遠野市内でわかっている沼御前と付随する館跡は、上記の分布図として表してみた。ただし火鼻館は、うっかりしていたので記載しなかった。

菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」でも、「遠野市おける館・城・屋敷跡調査報告書」から引用して紹介し、沼御前とは何かを考えるも、結論には至っていない。ところで同時に、遠野七観音も分布図に載せているが、もしかして関連がある可能性を踏まえてのものだった。それは遠野七観音に付随する七つの井戸伝説と、もしかして沼御前が結び付くのではと考えてのもの。結論には至らないだろうが、のんびりと沼御前を考えて行きたいと思う。
# by dostoev | 2017-06-27 18:52 | 「トイウモノ」考 | Comments(0)

遠野不思議 第八百五十八話「猫の森」

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なんというか…遠目で見ると、猫に見えた。顔はアニメの「トトロ」に登場した”ネコバス”の様でもある。これからここを勝手に”猫の森”と呼ぶ事にしよう(^^;
# by dostoev | 2017-06-26 18:29 | 遠野不思議(その他) | Comments(0)

遠野不思議 第八百五十七話「火を吹く龍」

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「遠野市おける館・城・屋敷跡調査報告書」によれば、火鼻館の近辺には、火を吹く龍の伝説が付随しているのだと。この火を吹く龍が棲んでいたのは、沼袋という地であると。この沼袋の沼に棲んでいた一匹の龍が、火を吹き、その鼻先から一太刀の剣が出たという伝説が紹介されている。

画像の沼袋の地は、岩から水が染み出て流れる地で、沼御前(龍神)と不動尊を祀っている。そして社の手前には4月になると水芭蕉が咲く地でもある。恐らく昔は、この水芭蕉の咲いている辺りが沼であったのだろう。
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沼御前は阿曽沼に関係する館跡に付随するものとも思えたが、この沼袋近くの火鼻館は、どうやら安倍貞任に関係ありそうだ。「東日流外三郡誌」に「日高見国閉伊郷貞任山ノ事」という文書に、下記の様に記されている。

「天喜元年七月安倍日下王頼良、川井五郎作に主命なして、討物刃鉄を探鉱せしむ。時に土淵七三郎ポロホノリ(貞任山)に採鉱す。製鉄瀬川米通にてタタラを築き、品宣しき刃鉄を製りければ、時の刃工師宝寿、この鉄に太刀を練ふるに、その斬刃馬胴一にて斬断てり。」

米通りは、貞任山に通じる道がある。話の流れ的には貞任山で採掘された鉄を、この火鼻館の地でタタラを築いて吹いたという事か。「遠野市おける館・城・屋敷跡調査報告書」の著者は、これが火鼻館跡と火を吹く龍を結び付けるものとして認識している。
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実は、この火を吹く龍の顛末だが、最終的には退治され、三分割となって石化した事になっている。それぞれ頭は「舌出岩」胴体は「続石」尻尾は「尾岩」が、小烏瀬川沿いに分散しており、尾の岩の地には白龍を祀る神社が建っている。
# by dostoev | 2017-06-26 17:17 | 遠野不思議(伝説の地) | Comments(0)

遠野不思議 第八百五十六話「立石」

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石上山に連なる山中に、立石と呼ばれる巨石がある。そしてその近くには館跡らしきがある事から、信仰された石では無かったかとされている。その真意はわからぬが、例えば綾織地区を見ると、続石意外には何故か縄文遺跡が近くにある事から、古代人は巨石信仰をしたのだろうと漠然に思える。ただ問題は、立石という名前だ。立石は他に、綾織にもあり、また遠野の西の外れの種山にも立石という地がある。さらに立石というと地名は、全国に広がる。

鹿島出版会「蹴裂伝説と国づくり」で、阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)とは「立石」ではないか?と疑問を呈している。「龍(たつ)」という漢字に誤魔化されるが「磐・岩・石」が「たつ」という名が健磐龍命ではないかとしている。これには自分も賛成票を投じたい。龍神の娘を嫁にした事から「立つ」に「龍」の漢字をあてたようにも思えるからだ。では健磐龍命が「立石」としたならば、全国に拡がる立石地名は、開拓の証としての立石という意味になるのだろうか?縄文人の巨石信仰の元、大岩に人が集まり、その地が開拓されるのではあるなら、確かに立石はその証になろう。ただまだ、その裏付けは出来ていない為に、今後の調査によるのだろう。
# by dostoev | 2017-06-24 11:14 | 遠野不思議(石) | Comments(5)

立石へ

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林道を進んだ山中に、立石という巨石があるという。そこで林道を車で進んだが、ここで間違いを犯した。右手に車の入れない林道らしきがあるが、道なりに左へとゆるやかに曲る車の入れる広めの林道が正解だろか?と、取り敢えず進んで見た。ところが、見た目よりとんでもない林道だった。

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とにかく林道に車で侵入したはいいが、余り酷いのでUターン。その帰りが、上の動画となる。とにかく車の下が凄い音がするので、降りて見たら、上の画像でわかるように、木が刺さっていた。
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車の後部は、尻尾が生えたみたいになっている。
とにかく、車から気を力づくで折って外し、気を取り直して再び今度は右側の林道へ。少しだけ車を入れて停め、後は歩いて行く事にした。
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右側の林道は、少し進むと画像の様な倒木が無数にある。
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そして、暫く進むと、置き捨てられた車の残骸があった。かっては車も行き来していたのだろう。
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ところがこの林道も途中で道が切れてしまう。目の前には、沢を渡る橋か?それとも単なる倒木なのかわからないが、沢を越えて進んで見る事にした。手掛かりは、沢沿いに聳える立石という巨石だった。
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もう道は無かった。たまに道かなと思うと、獣の足跡と糞ばかりしか残っていない獣道ばかり。しかし歩くのには、この獣道が役に立つ。今更藪こぎはしたくないもの。それでも獣道は、すぐに途絶えてしまい、もうどこを歩いているのかも検討もつかない状況だった。
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そんな中、眼前に聳える巨石が目に入った。途中、それなりの巨石があったが、ここまで巨大では無かった。沢の状況と位置が、聞いた通りの場所に聳えているので、これが立石だろう。自分の身長の五倍以上はある巨石だった。
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画像では分かり辛いが、画像よりもかなり巨大な岩だった。
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沢らしきは、いくつもあったが、巨石がごろごろしていたのは、一つの沢に集中していた。他の沢には、殆ど巨石らしきを見る事が無かった。そして帰ろうとするが、道なき道をめちゃくちゃに歩いて来たのだが、取り敢えず下ればどこかの舗装道路に出るだろうと簡単に考えていた。
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とにかく下りながら、谷を下って登り、下っては登るを繰り返し道なき道を進んでいたら、ばったりと停めていた自分の車に遭遇した。いつもだが、自分の感覚に感心してしまう。しかしここで大変な事に気付いてしまった。携帯電話が無い…。以前、夜の薬師岳に携帯電話を落として再び登って見付けた事があるけれど、あれは登山道がはっきりとわかるから見つける自信があった。しかし今回は無理だろうと、すぐにあきらめてしまった。速攻DOCOMOへと行き、新しい携帯を申し込んだ。しかしデータが全てパーになってしまったのは大きい。まあこれは、無事に帰って来れた代償と考えるしか無いだろう…(ーー;)
# by dostoev | 2017-06-23 17:16 | 遠野体験記 | Comments(5)

遠野不思議 第八百五十五話「天ヶ森の沼御前」

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何故か天ヶ森を中心として、三つの沼御前が祀られている。この天ヶ森の沼御前に糠を入れると、荒屋の御前沼に浮かび、そして次には松崎の御前沼に浮かぶと伝えられている。これは諏訪神社に伝わるものに近似している事からもしかして、遠野に諏訪神社を建立した阿曽沼氏が持ち込んだ伝説だろうか。「遠野市における館・城・屋敷跡調査報告書」に記されている様に、館と沼御前はセットになっているようであるから、天ヶ森館の主は不明であるとされているが、阿曽沼氏の家臣の誰かだろうか?ただ、安倍氏に関係する館跡にも沼御前がある事から、これらの考察は別の機会としよう。
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沼御前の場所は水が湧いているが、その上は急こう配になっている。水源はまだまだ上にある事から、伏流水がこの沼御前の地に湧き出ているのだろう。そして天ヶ森自体が、現在よりも豊富な水源を有していた山であったと云う事だろう。
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沼御前の在る地は、全体的に湿地帯になっている為、歩いているとズブズブと沈む箇所もいくつかある。
# by dostoev | 2017-06-20 13:10 | 遠野各地の沼の御前 | Comments(0)

遠野イノシシ情報(2017年)

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遠野市小友町の外山近辺で、猛スピードで走るイノシシが目撃された。また同じ小友の鮎貝近辺でも、イノシシが目撃されている例がいくつかあるようだ。ただし、ウリ坊の目撃が無い為、他地域から流れて来たイノシシの可能性もあり、まだ遠野には定着していないのかもしれない。

ところで十二支とは、植物の萌芽から枯れるまでを重ねられたという。その中で、本来の始まりは”亥”とされる。普通は”子”が初めだと思われがちだが、地面内部に種子が萌芽した状態を”亥”とし、地面から芽が出た状態を”子”とする為、亥が本来の始まりである。ところで山神の使いに、猪・蛇・狼(山犬)がいるが、亥が「初め」を意味し、蛇が「最盛」を意味し、狼が「終焉」を意味する。これがアニメ「もののけ姫」にも採用されたのか、導入部では祟り神に犯された猪が登場し、山中ではタタラを踏んで文化の最盛を誇示していた蛇を意味する「エボシ様」という女性が登場し、死の病に犯され、いつ死ぬかわからない狼がまさに終焉を表現していた。最後にシシ神の崩壊と共に、その世界の終焉が訪れたかのよう。つまり”亥”は「終りの始まり」を意図していたかの様。イノシシが遠野に定着すれば、作物の甚大な被害が予想される。

昨日、いつもイチゴを売りに来る上郷町のお婆さんが「最近はハクビシンにイチゴを食われて大変です。」と言っていた。過去にはいなかった木登りもするハクビシンは、かなり厄介者の様。某寺の屋根裏にも巣食い、退治するのに大変だったと云う。そして今度は、明治以降遠野から姿を消したイノシシが復活すれば、農家そのものの生死に関わるのかもしれない。例えば昔、あちこちにあった桃の木や梨の木が無くなったのは「どうせ全部、熊に食べられてしまうから…。」と、木そのものを処分した農家が多い。動物の侵攻に、人間の防御が追いつかないからだ。

またイノシシが増えると、山での山菜・キノコ採りにも影響を及ぼす。熊は正直言えば、人間を見かければ大抵の熊は逃げる。しかしイノシシは逃げないという事から、イノシシが遠野に定着した場合、山での事故も増えそうだ。

ただ逆に考えてみれば、縄文遺跡ばかりで弥生遺跡の無い遠野は、狩猟生活に丁度良かったのかもしれない。後から日本人の主食としての米作りが推奨され、安定した食生活の為の田畑が定着してから、常に動物とのせめぎ合いが始まった。しかし今更、狩猟生活には戻れないのが現実。この動物との攻防の落としどころが難しいのが、現代というところだろう。
# by dostoev | 2017-06-19 11:26 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

夜の遠野ガイド(6月15日)

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昨夜は久々の、遠野夜ガイドへと行ってきた。人気のコースが去年の台風の影響から行けなくなり、今回は簡易コースみたいな感じで行って見た。まず立ち寄ったのはデンデラ野。デンデラ野の奥へ行くと無数の鹿に遭遇。初めて鹿の群れに遭遇した観光客は、かなりテンションが上がっている様。近くには稲荷社があり、妖狐の墓もあるが、そこには立ち寄らなかった。
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デンデラ野を下って、定番の水車小屋へ。実はここ、日中でも距離があるからと断念する観光客も多い。そういう意味で楽する為、これで明日の日中は立ち寄らなくても良いと。
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そして次は、この前二度にわたって熊に遭遇した荒川高原へと。車で進むごとに霧が深くなり、それじゃあとやはり定番の影絵遊び。
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聞いてみると、普段やはり夜の山道を走る事はないという。ましてやホラー映画のシーンに登場する濃霧と、野生の鹿の群れが何度も現れる状況は、そう体験できる事では無いようだ。今回は殆ど鹿ばかりで、わずかにタヌキが道を横切った程度。熊には、出遭えなかった。
# by dostoev | 2017-06-16 06:39 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)

矢立松(松が遠野に持ち込まれた時代)

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綾織村字山口の羽黒様では、今あるとがり岩という大岩と、矢立松という松の木とが、おがり(成長)競べをしていたという伝説がある。岩の方は頭が少し欠けているが、これは天狗が石の分際として、樹木と丈競べをするなどはけしからぬことだと言って、下駄で蹴欠いた跡だといっている。一説には石はおがり負けてくやしがって、ごせを焼いて(怒って)自分で二つに裂けたともいうそうな。松の名が矢立松というわけは、昔田村将軍がこの樹に矢を射立てたからだという話だが、先年山師の手にかかって伐り倒された時に、八十本ばかりの鉄矢の根がその幹から出た。今でもその鏃は光明寺に保存せられている。

                  「遠野物語拾遺10」

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「遠野物語拾遺10」が語る様に、今現在も、その地に大岩と松ノ木が並んでいる。岩は古来から変わらなくあるのだろうが、松ノ木は伝説の何代目かにあたる木になるのであろうか。ところで矢立杉の伝説というものが全国に点在している。矢立杉の謂れは「矢を射立てて神に奉る」という事から矢立杉と云われるようだ。つまりこれは、神木とする神事と考えて良いだろう。ただし杉以外の樹木の伝説もある事から「遠野物語拾遺10」の場合は、矢立杉が松ノ木に代わる亜流譚になるか。

ところで松ノ木は、弥生時代に輸入された樹木である。ところが岩手県、もしくは遠野地域には、弥生遺跡は殆ど無い。遠野から沿岸域にかけての遺跡は、縄文遺跡の上に平安遺跡が重なっている場合が多い。これらから、弥生時代に輸入された松ノ木は、いつの時代に東北、もしくはもっと限定的に岩手県及び遠野地域に持ち込まれたのか?と考えた場合、この「遠野物語拾遺10」が、かなり重要な意味合いを持つ伝説では無いかとも思えるのだ。歴史家は、この「遠野物語拾遺10」を、有り得ない取るに足りない伝説と考えているふしがあるが、遠野に松ノ木が持ち込まれた時代を考えた場合、やはり坂上田村麻呂以降であった可能性があるのではないか。
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古い画像だが、これは六神石神社に屹立していた「神座の松」と呼ばれた、巨大な松ノ木である。名前の通り神が降り立つ意味を持つ松ノ木だ。有名な伝説に、天女の羽衣の話があるが、あの伝説でも天女は松ノ木に天の羽衣をかけたという事から、松ノ木は神の斎く樹木であると古くから伝わる。例えば遠野地域でも、歩いていると高く聳えたつ杉の木や松ノ木が密集した杜を見つけると、その下には大抵の場合、社がある。矢立杉も矢立松も、どちらも神の斎く神木であると伝わっている証拠だろう。しかし神社という社を造る文化はいつからかとなれば、やはり坂上田村麻呂以降となる。岩手県の多くの神社の建立年代が揃って大同元年もしくは大同二年になっているのは、"坂上田村麻呂の蝦夷征伐"の後に平定され天台宗が布教に訪れてからとなる。画像の六神石神社の松も恐らく、神社が建立されて植えられたものの何代目かの松になるのではなかろうか。

「遠野物語拾遺10」の話は、坂上田村麻呂が遠野に来なかったにしろ、神域の松ノ木に矢立神事をして、神に奉った事実を伝えるものと考えても良いだろう。その矢立松の隣にひびが入っている「とがり岩」と呼ばれる大岩がある。「遠野物語拾遺10」では、「石の分際として、樹木と丈競べをするなどはけしからぬことだと言って、下駄で蹴欠いた跡だといっている。」とされているが、この大岩の少し下がった場所には、縄文遺跡があった。縄文人は巨石信仰をしていたと伝えられるが、まさに「とがり岩」は、その縄文人、いや蝦夷征伐される以前の遠野に住む民の信仰の証ではなかっただろうか。かたや松ノ木は輸入された樹木であり、それを好んだのは当時の朝廷以前からのものであったろう。それ故に、縄文人の聖地に屹立していた「とがり岩」の隣に松ノ木を植え、後に矢立神事を行い神木とし、元々あった「とがり岩」よりも「矢立松」の方が位が上だとし、作られたのが「遠野物語拾遺10」の伝説ではなかろうか。
# by dostoev | 2017-06-12 17:44 | 民俗学雑記 | Comments(0)

泥棒を守護する神の根源

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以前「泥棒を守護する神トイウモノ」という記事を書いたが、この泥棒の根源を考えてみた。

早池峯の女神は三女神の末の妹であったが、姉の上に降りた霊華を奪い、早池峯の女神になった話は「遠野物語2」で紹介されている。この話からなのか遠野では「山のモノと女(おなご)はなぁ、早ぐとらねば誰かに取られてしまう。」として、山菜やキノコ、そして、気になった女性は早めに手をつけるものだと広まったようでもある。その為なのか佐々木喜善「遠野奇談」の冒頭に、その盗みを守護する早池峯の女神の逸話が拡大解釈され紹介されている。

「この三山の新山祭には、郷土の若者達の乱暴が荒く烈しければ烈しいほど女神が喜ぶというので、随分乱暴をはたらくのが土地の習慣となっている。そのうちでも早池峯神社の例祭には、乱暴の上に盗みをしてよいという習俗があるので、ちょうど七月頃の例大祭であるが、その往還に村の梨桃の実から、娘たちまでが大いに荒らされ盗まれる。」

これを読むと、早池峯の例大祭の昔はとんでもないものと思いがちだが、これと同じ様な記録を九州は熊本の阿蘇神社の例大祭で読んだ事がある。村崎 真智子「阿蘇神社祭祀の研究」に記されているが、やはり例大祭の時は、余りにも娘たちが乱暴されるので、いつからか娘たちを祭に出さなくなった家が多いと紹介されている。この阿蘇神社の例大祭もだが、遠野と同じに菊池氏が多いのは偶然だろうか?それは何も菊池氏がというわけではなく、その時代の流れもあっただろうが、早池峯神社よりも古い歴史を誇る阿蘇神社の例大祭の習俗を、遠野に移り住んだ人々がそのまま持ち込んだ可能性もあるだろう。何故なら、阿蘇大神は早池峯大神と同神であるからだ。一般的に阿蘇大神とは健磐龍命と思われがちだが、健磐龍命は外来の征服者と思えばよい。菊池郡の民俗・信仰を調べると、阿蘇の姫神である阿蘇津比咩を阿蘇大神として崇めている。その阿蘇津比咩は早池峯の女神である瀬織津比咩であり、嫁いだ為に阿蘇津比咩と神名が変化している。とにかく、九州から遠野に移り住んだ者達が同じ神を祀り、同じ祭の習俗を持ち込んだとしたら、早池峯の女神は盗みを守護する神であるという逸話も後付けでは無いかと思えてしまう。

佐々木喜善によれば「東西磐井から旧仙台領では泥棒の神様として斯云ふ職業の人達が重に信仰したものだと申します。」という、余りにも産土神を他人事みたいに語っているのが妙である。早池峯神社の例大祭は、県外からも大勢の人達が来たと伝えられる。その中に"泥棒守護の神"という意識で参詣した者もいたのかもしれない。遠野に隣接する東和町での早池峯の神は「一生に一度無理な願いを聞き届けてくれる神」として認識している人もいるそうだ。つまり、遠野を離れるにしたがって、早池峯の神の神威は曲解されて伝えられているようだ。
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「泥棒を守護する神トイウモノ」では妙見菩薩が、そのものの姿を変化させる力があるという事がわかった。早池峯の女神が、糯米の稲穂を粳米の稲穂に変化させたのは、早池峰の神の力であった。つまり泥棒を守護するというより、信仰する人を助ける為、そのものの形を変化させたりする霊的な力は、妙見菩薩と同じであった。その妙見の本地は薬師如来である。早池峯の前に聳えるのが薬師岳で、そこに薬師如来が祀られていると考えられている。それ故「前薬師」と呼ばれる。これは「上閉伊郡志」にも「早池峯の前にある薬師の山」と記されている。実はこの薬師岳は七つ森信仰に関する為、もっと複雑な祭祀形態になるのだが、ここでは省略する事にする。そして背後に聳える早池峯は十一面観音を本地としている。

「宮守村史」「砥森神霊翁之夜話」が載っているが、安倍氏に関係する伝承となる。早池峯もだが、この宮守の砥森もまた安倍氏に関係の深いところである。そこに、こう記されている「毎年四月八日、九月廿八日御山籠りと申て祈願のもの前夜詣ふて、拝殿にいのりて…。」と記されているのだが、四月八日は薬師如来の縁日。そして九月廿八日は、不動明王であり瀬織津比咩の縁日となっている。砥森でも早池峯と薬師の祭祀形態が伝わっているのであろう。瀬織津比咩の本地は十一面観音であるが、何故に不動明王であるかは以前別記事で書き記したが、十一面観音の脇侍として不動明王が存在し、薬師岳の麓の又一の滝を見てわかるように、滝そのものを、そして十一面観音を守護しているのが不動明王である。何故十一面観音かといえば、十一面観音の神威そのものが瀬織津比咩と同じであったのが大きかったのだろう。よって早池峯に祀られるべきは、薬師如来ではなく十一面観音でなければならなかった。それらについては他の記事でも書いてある為、詳細を省く事とする。そして言えるのは、養老年間に熊野から最強の神として運ばれて来た瀬織津比咩は蝦夷の地の平定を願ってのものであった。その後の大同年間に天台宗の影響から、瀬織津比咩に十一面観音が重ねられ、いつしか早池峯は観音信仰の山とされてしまった事を念頭に置いて欲しい。

それと紹介し忘れたが、佐々木喜善「遠野奇談」には、その三女神信仰をしていた一族に安倍氏が関係している事を紹介している。だからこそ、早池峯にも砥森にも、安倍氏の影が濃くなっているのは当然の事であった。
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昔三人の美しい姉妹があった。橋野の古里という処に住んでいた。
後にその一番の姉は笛吹峠へ、二番目は和山峠へ、末の妹は橋野の
太田林へ、それぞれ飛んで行って、そこの観音様になったそうな。

                     「遠野物語拾遺1」

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この「遠野物語拾遺1」の末娘の場所を辿ると、そこに祀られていたのは早池峯の神であった。つまり、この「遠野物語拾遺1」もまた、三女神譚であった。岩手県内に共通するのは、末娘が早池峯であるという事。そして一つ、気になる箇所がある。「それぞれ飛んで行って」と表現されている。これは遠野三山の女神も、別の伝承では「飛んで行った。」と表現されている。

飛んだと表現される話が別に「遠野物語拾遺3」に天人児の話として紹介されている。天人児が水浴びしている時に石にかけてあった羽衣を若者に奪われ、天に帰れなくなり、そのまま若者と夫婦として過ごすのだが、後に羽衣を取り戻して、天に飛んで帰って行くというもの。これは全国に広がる天女の羽衣譚の遠野バージョンであるが、この羽衣を奪われた天女は七人姉妹の末の娘である場合が殆どである。この「遠野物語拾遺3」の天人児は機織り機により蓮華から衣装を織った。この蓮華だが、三女神に降りて来た霊花もまた蓮華であった。蓮華は吉祥天に縁が深いが、その吉祥天は毘沙門天の妻であるとされる。毘沙門天の化身と呼ばれた坂上田村麻呂の伝説と、この蓮華の花を通じて、三女神伝説が繋がっているのは、その背後に安倍氏がいるからだろう。

坂上田村麻呂東夷征伐の時、奥州に国津神の後胤の玉山立烏帽子姫という女神があった。極めて美貌であったので、夷の酋長大岳丸というのが種々の手段で言い寄ったけれども、姫は少しも応じなかった。この時にあたって坂上田村麻呂は勅使を奉じて東北の地に下ってこられた。そして立烏帽子姫の案内で、よく蝦夷を討伐し、その頭領大岳丸を岩手山で討ち取った。それから立烏帽子姫と夫婦の契りを結んで、一男一女を産んだ。その名を田村義道、松林姫といった。義道は安倍氏の祖である。松林姫は三女を産んだ。お石、お六、お初といった。お石は守護神、速佐須良姫の御霊代を奉じて石上山に登った。お六は、速秋津比売の御霊代を奉じて六角牛に登った。お初は瀬織津比咩を奉じて早池峯に登った。この三人の女神たちの別れた所は、今の附馬牛の神遺神社の所であった。

                  佐々木喜善「遠野奇談」より抜粋

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天女を調べていると誰もが気付くとは思うが、七夕伝説に似通っている。水辺を中心とし、天女という織女が男と出逢って別れる図式は、七夕伝説と言っても良いほどだ。天女伝説の定着は王朝時代(奈良時代~平安時代)とされているが、弥生時代の銅鐸に紡いだ糸を巻く桛を持つ女性が描かれている絵を七夕と結び付けて考えられているが、それを天女伝説に結び付けても違和感が無いだろう。

羽衣を奪われ天界に戻れなくなった天女を、堕天使ならぬ堕天女と呼ぶ。その堕天女となった経緯は、たまたま男が羽衣を見つけたので奪ったというのが一般的である。しかしリアリティを持った伝承は、唯一阿蘇に伝わるもので、阿蘇神社の御前迎え神事に結び付いている。

赤水宮山に健磐龍命が行ったら山女がいた。この山女は日下部吉見の姫が赤水に来ていたもので、健磐龍命がこの姫を強引に担げて来て自分の嫁にした。嫁盗みを神様がやったので、阿蘇の人々にも許されている。実際にも行われていた。姫を盗む途中で十二か所寄って来る。化粧原は十二か所目になり、ここから夜になるので松明を出す。そして赤水のお宮で強引に姫の穴鉢を割る(犯す)。それからお宮(阿蘇神社)に連れ込んで高砂(結婚式)をする。お宮に連れ込んだが、姫が生まれ在所に帰りたいというので羽衣を隠した。子供が十二人生まれる。これが阿蘇神社の十二の宮である。子供が多く生まれたので、安心して歌を歌う。「姫の羽衣は千把こずみの下にある。」それで姫は羽衣を見つけ、生まれ在所に帰った。

先に、早池峯の神は荒く烈しい祭が好きで、男達は例大祭の時に、女をも盗む様な事を紹介したが、それが阿蘇神社の例大祭にも似てるとした。その根源は、阿蘇の男神である健磐龍命が日下の姫神を奪った事が発端であるようだが、この健磐龍命に"盗まれた"姫こそが早池峯の女神である瀬織津比咩であった事は紹介した。その瀬織津比咩は阿蘇において奪われた羽衣を見つけ奪い返し、生れた所に帰ったという話がそのまま岩手県に伝えられ歪曲したものが三女神伝説では無かろうか。本来天女の末娘は、蓮華の羽衣を盗んだのではなく、奪い返して天(早池峯)に帰ったとするのが、正しい話の流れであると思う。それが三人姉妹として三山に重ねた為に、話が歪曲され変換されたと。三山となったのは、熊野三山、出羽三山の流れに、天女の羽衣伝説を組み込んだものであろう。岩手県に早池峯を中心とする三山と三女神の話が多いのは、あくまでも早池峯を中心に三山伝説が作られ、それが各地にも広まったのだろう。菊池照雄氏は、三山伝説の伝承者が殆ど菊池氏であると指摘している。つまり菊池氏を中心とした信仰が、各地に分散して住みついた土地の地域性を加味して作られたのが、岩手県内に拡がる多くの三山三女神伝説であったのだろう。

菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」で、照雄氏は遠野の中世の館に何故か天女の羽衣伝説が付随している事に着目した。奇しくも七姉妹の天女と同じく遠野全体で七か所の地に、羽衣伝説があるという。これは偶然なのか、それとも意図されたものなのかは今後調べてみないとわからないが、遠野の伝説の根底には天女の羽衣伝説が根深く潜んでいるのを感じるのである。
# by dostoev | 2017-06-03 18:30 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(10)